1996年1月12日に出産、死産を体験しました。妊娠してから年月は何年か経ちましたが、私が患者として体験し、感じた想いを書かせて頂きたく思います。決して、医療機関、医師に対しての中傷では御座いません。
医療に関係される方々のお力により、出産が出来た事、小さな命を救って頂いた事を大変感謝している事を始めに お伝えしたく思います。

      
             医療とメンタルサポート 


私は自分が、妊娠、出産をするまで世の中で良く言われるように、子供を産むことは、当たり前、そして妊婦は病気ではないので、何も心配する事では無いと思っていました。トラブルの無い妊娠の本は、沢山出版されています。
そして、数少ないトラブルの説明も、そう言う本にも、何ページか掲載されています。
しかし、トラブルを抱えてしまった時、動揺している中、図書を捜したりする 気持ちのゆとりは何処にもありません
そう言う時に、不安を取り除く機関を教えて頂けたり、そう言う小冊子、等の紹介を積極的に働きかけて頂けたらどれだけ心強いかと思いました。

「私の妊娠は、無脳児と胎児の状態では命に関る事の無い 奇形を発見されなかった。男女の二卵性の双子の出産体験です。」

私は、妊娠5ヶ月の時に、宣告されました。その事を口にする事は、苦痛でしかありませんでした。
胎動を感じる、母親に1人は無脳児で、出産と共に死ぬんです。
と言う言葉は身体を引き裂かれるような想いです。

でも、出産の為の、母親学級にも出てみたい。知らない事だらけの大仕事の心の準備をしたい。
そんな想いで、町が主催する、母親学級に参加してみました。
その場に行くと、皆 笑顔で予定日の話しや、可愛い子が何時生まれるかの楽しい雰囲気で自分は場違いの所に来たのだと、後悔しました。
そして、講習が終わった後、「何か悩みのある方は、話してください。」の言葉に勇気を出して、保健婦さんに話してみました。真剣に話しを聞いてくださいましたが。「大変ね、でも頑張ってね」の言葉で終わりました。
確かにそうです。身内から掛けられる言葉も、「頑張るしかないね」もう聞き飽きた言葉です。

私の求めていたのは、頑張れと応援されるのではなく、心の苦しさ、自分を責める辛さ、そしてその妊娠を受け入れる為の
混乱した 心の整理のサポートだったと思います。
実の母親のサポートを受けれなかった私は、辛い思いを同じように抱えている主人に私の悲しみや不安を、ぶつけきる事は出来ませんでした。

私は双子と始め診断された時、幸せに包まれ、リスク出産でも、希望があり一般の育児書では参考に成らない為図書館で、双子の育児の本を何冊か取り寄せて読みました。
でも、ハイリスク出産になると 宣告されてからは、心の動揺と不安と悲しみが渦巻く中、冷静にならなくてはと自分に言い聞かせて、出産の日まで過ごしました。
私の経験した妊娠は、無脳児との双子と言う特例だと、思います。

始め、通っていた個人病院から、紹介状を貰い NICU のある総合病院に紹介されました。
そこで、出産に至までの説明、子供の奇形の状況、早産による子供の障害の確立、その為の処置、入院の準備など、奇形児の診断を告げられた時に、説明を主人と共に受けました。
お陰で、ハイリスク出産の心構えはある程度、出来ました。
しかし、現実は 産むと決断した日より、出産までの期間の方が、絶えがたい心の動揺との葛藤でした。
自分たちで産むと決めた以上、自分たちで乗り越えて行かなくては、と誰かに頼る物ではないと涙を流さず、現実に向き合わなくてはとひたすら、崩れそうな自分との問いかけでした。

子供のことは夫婦で、決断したのだから、夫婦で乗り越えて行かなければ、行けない物だと思いこんでいました。
しかし、今 感じる事は 夫 であれ母親が持つ不安や子供に対する愛情は、父親とは共有できる物ではないと思うのです。悲しみや、苦しみは形が違えども親としては同じだと思います。
でも、妊娠、出産は男性と女性とは、同じ様に共有できないと思うのです。
母親の中に芽生えた命は、鼓動を聞かなくても、母はそこから慈しみ、自分の体を、儚い命の為に気遣いします。
食べる物、飲むもの、行動(そうで無い方もいらっしゃると思いますが、批判する気は御座いません。)
もしかして、妊娠?と思った時から、何も変わらない、自分のお腹がいとおしく感じます。

妊娠は病気では無く、自然の摂理です。
でも、産まれるまでの期間、母親が抱える不安は、全て 『妊娠は病気では無いから』 の言葉で片付けられる様に感じます。そして、不安を口にすると、「神経質になり過ぎだとか」、「考えすぎると良くないよ」で終わります。
確かに、そうです。でも違う場合も沢山あります。
日本の医療にかかり感じた事は、話す時間の無い事です。
始めての妊娠で、経験の無い母親は、心配事が一杯です。
まったくトラブルの無い、快適な妊婦生活 を送った方も沢山知っています。そう言う方にはこの様な疑問は無いか
もしれません。
でも、流産を経験した方や不妊でやっと授かった方、妊娠と知らずにお薬を服用した方、そして前回の出産でトラブルがあった方等他、妊婦さんは、不安で一杯だと思うのです。
でも、医師に聞く時間は慌しい検診の中で、緊張して、落着けず聞く機会を逃す事が多いように思います。

妊娠の異変さえも、どう言う物か解らないのが現実です。
出血するなど、目に見えた場合おかしいと思うでしょう。でもお腹が張る..........
どんな感じでしょう。
本にも書いてあります、でも どんなものか体験していないと解らない。
そんな事で病院に電話していいの?
大袈裟だと思われたら?
何故だか お腹が痛い、朝まで我慢して病院に行こうかな?
病院に行ってみた  少しお腹が痛いのですが........
ハイ解りました。と受付を何時もの様に済ます。
まだかな?まだかな?混んでるな.......と まあ対した事じゃないかもと自分に言い聞かす。
そうしている間に、想像を裏切り、流産になった方もいると思います。

流産は、自然淘汰、生きる力の無い胎児だから 仕方が無かった。
でも、母親はそう簡単に...... そう思えるでしょうか?
あの時、もっと自分が気をつけてあげてれば、もっと訴えていればと
自分を責める母親は、多いはずです。

私もそうです。31週が終わった日に、出産になりました
お腹が張っていたのを、ナースに訴えました
そして、何時もの様に陣痛測定機で計測したけれど、機械には、はっきり出ませんでした。
結局、次の朝には子宮口は8cm開いており、即分娩になりました。
羊水過多でお腹がパンパンになり、機械では測定できなかったのです。
でも、私はおかしい、何時もと違うと思っていたけれど、機械に出ないのに騒ぎ過ぎかな?
と、思い一晩過ごしてしまいました。
結局、心乱れる中、出産、死産、1634gの未熟児の育児が始まりました。
子供のケアーは、万全の分娩状況で、NICUのDr.の立会いでしたので。未熟児出産においては完璧です。

でも母親の心は、ボロボロのまま新たな、不安も抱きながら子育ては、スタートするのです。

沢山の後悔、悲しみ、そして現実、生活
それが、生きる事だよ。困難を乗り越えて成長するんだよ。
そんな解りきった言葉では、無理なんです。

何、弱い事を言ってるの?と言われても、医療の力で命を救って貰えても
心が救われないと、健全な子育て は出来ないのではと思います。

そして、たとえ胎児であっても、我が子を亡くした親の悲しみは、身を切り刻まれる想いです。
母親は、胎児を亡くす時、我が身の痛みを伴います。
早期流産、流産、堕胎、人口死産、死産、身体の痛みの無い別れは無いのです。
そして言葉に出来ない涙を流します。

仕方のない事なんだと解っていても、簡単に 自然淘汰 だと受け入れる事等出来ません。

そんな時、夫以外、家族以外、同じ悲しみの痛みのある方と話せたり、癒せる場所がある事、そう言うサポートが載っている小冊子、本等、カウンセラーが混乱した頭を整理する手伝いをしてくださる事を、医療機関で教えて頂けたら、どれだけ助かるだろうと、切実に感じました。

日本の医療の技術は世界でも眺餅クラスだと思います。
その技術に、メンタルサポートが充実すれば、不安や痛みから救われる患者さんが多くなるのではと(偉そうですが)思います。

妊娠時に使う薬の詳しい説明、副作用、必要性、
処置による、後に出る身体への影響 等など
患者は詳しく知る事により、Dr、や医療機関に疑心を持たず、安心して治療をゆだねる事が出きると思います。

人手の足りない医療現場でなかなか、難しい事だと重々承知しています。
実際私が入院していた病院でも、Dr.やナースは何時休んでいるんだろう?と思いました。

出産の朝、主治医は珍しくお休みでした。
他の先生が診察をしてくださり。もう陣痛を止めることは出来ない事の説明をされ
診察をしてくださった、先生(副部長先生)が担当になるとその先生に説明を受けました。
動転している私は、自分の妊娠の状況を必死で、話しました。
その時、始めて病棟のDr.もナースも、私のお産のサポートができる様になってるから
心配せずにまかせて下さい。と説明されました。
分娩の最中、混乱する私に、病棟のナース、が手が空くと次々、応援しに、手を握りに、涙を拭いにそして一緒に、涙してくださり、私について研修していた学生さんも寮から、出向いてきてくれました。
そして、主治医もお休みを返上し、私との約束で『出産時は必ず僕が取って上げるから』を聞いていた、部長先生が連絡を取ってくださり、駈けつけてくださいました。
とても、感謝しています。

でも、1つ希望を述べさせて頂くなら。
出産前にサポート体制が出来てる事、入院中の心のケアー、不安を1人抱え込まなくていいんだと言う説明
そして、自分の体の詳しい状況、を詳しく積極的に教えて下されば
もう少し、妊婦の時の恐さが精神的に追い詰められなかったのではと感じます。
まだまだ、医療を受ける患者が消極的な現状です。
実際、どう関わりを持っていいのか?どこまで質問したらいいのか?解らないのじゃ無いでしょうか

日本人には、まだまだ忍耐、根性 弱音を吐く事は美徳じゃない意識が潜在している様に思います。
メンタル(心のケアー)な部分はまさしくそういう部分ではないでしょうか?
でも、素直に涙を流し、自分の弱さを吐き出す事が出来て無いと、力強く前に歩いて行け無いように思います。
色々な、困難な現状と向かい合う為に、心のケアーは医療と切り離せない物だと痛感致します。
現実は止まる事無く、日々流れて行きます。

子供を持ちたい親、始めて子供を持つ親、子育てをしながら子供を持つ親
負担が掛かり易いのは、妊娠、出産する母親だと思います。
色々な悲しみや、困難を抱えながらの育児は大変です。(廻りに協力があっても)

命と密接している、医療現場、大きな心の傷を抱える両親に、メンタルケアーがある事、そして、そう言う傷を持たれた方達のグループ、そういう場所や、サポートがある事を、こちらが望まなくても、教えて頂けたら
歩けなくなった時に、思い出すのではないかと思います。

勝手な感想を長々と書かせていただきました。