18トリソミー
34週2010.7.28


11年前にイギリスに移住。2006年、イギリスで長女出産。姑しか助けてくれる人がなく、過干渉に悩み、2人目は絶対にいらないと思っていた。
2009年12月、1年間だけ夫の仕事の都合でドイツ駐在中。姑の介入が少なくなると思いほっとしたのか、ドイツに引っ越した次の日に2人目妊娠。そのことや、姑のことで夫といつもけんかになる。3週おきの検診は、いつも大した変化もなく、ああしろ、こうしろと言われるばかりで面倒だと思い、4週おきでもいいですか、と聞くと、ドクターは「順調だからいいよ」と言ってくれて、4週後の検診の日時を間違ってしまい、もう2週待たされることに。6週後に行った検診で、「羊水が多い、体が曲がってる、胎児が小さ過ぎる。明日にでもスペシャリストに行ってください!」と言われる。明日は(長女が楽しみにしているお友達との)約束があるので無理です、とまだ事の重大さに気づいていない私。それで4日待って、スペシャリストに行く。その4日間は、いろいろ調べて、半分覚悟(トリソミー18の可能性も含め)、半分祈るような気持ちで。4日後に、スペシャリストでウルトラサウンドチェック、18トリソミーの可能性が非常に高く、心臓・胃の奇形、18の特徴である指の重なりも見られる、とにかく、生まれても生きられないことは確かでですが、染色体検査しますか?と聞かれ、私はこれでもう十分だったけど、夫は「はい」と言って、私はおなかに針を刺される。病院で待っている間に初めて泣いた。数日後、結果18だったことを知らされる。何回も夫と話し、夫の家族(カトリック)から(夫が)人工死産はしないように説得され、私は夫との家族とは会話拒否、ドクターは人工死産を勧める。私は、イギリスでも家族もなく大変なのに、ドイツではなおさら、言葉も話せない、友達もそんなにいない、体力のあるドイツ人の女性のようなタイプでもない、とにかく精神的に物理的に弱い立場にあるのだから、このまま妊娠を継続すると、負担がかかるのは目に見えているから、と。どうしたらいいのかどうしてもわからない。ニュースを聞いた瞬間は、早く前に進むためにはもちろん人工死産を選ぶべき、と思った。が、反対する人が余りにも多く、批判に耳をふさいでいるうちに、決心がつかなくなってしまった。喧嘩も増えた。これはたまらん、と思って、生まれて始めてカウンセリングに行った。2週間前。カウンセラーは、「22週目の段階だったら私も人工死産を勧めていたけど、32週目、放っておいてもあと2ヶ月で予定日だから、どっちに行っても茨の道であるあなたの環境を考えると何も決定せず、自然に任せるのが一番楽な道のような気がする」と言った。そうすることになった、というか、2ヵ月半既にそうしていたけど。それから2週間経った週末、珍しく家族で仲良く出かけ、いつもしない外食を土日と続けてやったところ、赤ちゃんが動いていないことに気づく。ここのところ1週間おきだった検診を初めて2週間あけてもらってた検針日の月曜日、それを伝えるとドクターがウルトラサウンドでチェックして「そうね、動いてないね。赤ちゃん亡くなりました・・。」久しぶりにちゃんと泣く。ドクターが夫に電話してその日に病院で陣痛促進してもらうように言っていた。家に帰って、2人でそれぞれ入院準備。出産に備えて休むひまもない。眠ろうとしても眠れないし。夕方病院に向かう。長女を隣に預けているので、夫は8時過ぎにうちに帰る。4時間ぐらいで全て終わると思っていたらしいが、そこのドクターはまだ予定日まで6週あるので、ちょっとずつ薬をあげて、4日ぐらいかかるかも、と言ったので、2人とも長期戦を覚悟、夫は長女の面倒を見るために、私は病院に殆ど一人で陣痛促進剤の痛みに2晩耐える・・。少なくとも、姑が絡んで来ないことがほっとした。2晩目に、どうしても耐え切れない痛みで眠れなくて1.15AMナースコール、ベッドごと分娩室がある別棟に連れて行かれ、点滴後晩御飯5時半以降何も食べてないのに、水分だけはく。つわりでの吐き気でも吐いたことのない私が、とショックを受ける。無痛分娩の準備、効果が出るまで待っているときにヨーグルトをもらうが、今度は体の水分を全部出し切るまではく。震えが止まらない。体が言うことをきかないのに、これから一番重要な赤ちゃんを出すと言う仕事ができそうにない・・。「I CAN"T DO IT..」を繰り返す私。姑もいない代わりに夫もいない、連絡さえしてない。夜中に長女を連れて来るなんて無理だろうし。少なくとも痛みは治まってきた。力が入らない。5時15分に始めます、と言われた。赤ちゃんが小さく、2人目ということもあり、そんなにプッシュできなくても10分後に終わった。助産婦さんたちは口々に「KLINE,KLINE(小さい)」を繰り返していた。私は、仕事が終わったことにほっとして、泣いた。5時半には旦那に電話して、1時間半後に旦那が長女を連れて来た。拭いてきれいにしてもらった赤ちゃんは、見た目は普通のほんとにかわいい子だった。おなかの部分はタオルや手で隠してあった。夫も長女も私もその場では泣かなかった。旦那と長女が午後帰り、私だけ次の日(今日7月29日)まで病院に残った。赤ちゃんの小さなかわいい顔を思い出し四六時中泣いた。今夜は家だけど、普通に家事をしても、みんなと話してる最中にも泣けてくる。自分の仕事(赤ちゃんを出す作業)が終わってやっと自由に泣けるようになったのだから。