2004.4.16  20週 【第三子】   
原因: 臍帯過捻転死産
三人目の妊娠でした。妊娠がわかった時8週で、二番目の子が9ヵ月ということもあって不安もあったけど楽しみで産まれて来ることばかりを考えていました。1人目、2人目と違いよくお腹が張りました。その度心配になり、検診日を待たずに受診したこともありました。でも、いつも先生は、子宮口は開いてないから大丈夫と、張り止めの薬を出されていました。あまり行くのも行きづらく、自宅で本を開いては、心配し過ぎかな、って。
上の子達に比べると遅い胎動に、日々ちゃんと元気かなと妙な不安がつきまとってました。
3月下旬18週
まだ分からない胎動に病院へ受診しました。けど、内診でしか診てくれず下がってないから大丈夫だと言われ赤ちゃんのエコーはみてもらえず・・・
元気ならば、、、とあまり先生に強く言えなかった事に後悔している。
4月13日
2週間後、検診日。待っている間そろそろどっちかわかるか、聞いてみようとワクワクしてました。自分の番が来てベットに横になり、エコーをあてた瞬間、場の空気が違い
「心臓止まってるよ、わかるよね」って言われ、この1ヵ月育ってない14週の大きさしかないと言われ、頭の中は分からなくなっていて、ただただ涙が止まらず先生の話が聞けない状況でした。先生が淡々と話をすることに怒りさえありました。
どうして何度も病院に訪ねたのに分からなかったのか、育ってないことにきづかなかったのか、先生の言う言葉を信じるしかなかった自分にも苛立ちました。
15日入院。受付終わったら、そのまま処置に。痛さと悲しみと泣いてばかりでした。夕方もう一度処置。激痛で手に冷や汗をかきました。夜になると腰にズーンと重い感じが始まり、不安とイライラ何とも言えなく寝付けず看護婦さんが寝れる薬をくれたので飲んで横になりました。夜中に破水と出血でびっくりして目を覚まし、それからは、眠れず・・。朝一番で診察室へ呼ばれ、入れてた物を抜かれ、変わりに陣痛促進剤を膣に直接入れました。劇薬と言われました。処置終えて部屋に戻るとすぐに間もなく痛みが来てあっというまに3分間隔に、トイレへ立ったら大出血して慌てて看護婦さんを呼んですぐに分娩台へ、痛みより落としてしまったらどうしようという気持ちのが強くこれから起こる事を考えただけで手が震えていた。少しいきむと卵膜がはがれおち、その後すぐに胎児ちゃんが出てきました。涙があふれて止まらなく、どれくらいの大きさなのか、どっちなのか早く会いたくて。会いますか、って聞いてくれてすぐに返事をしました。
顔立ちがはっきりしていて手も足も指の先までもちゃんと出来ていて・・・。
15センチ、72グラム、男の子でした。2番目の子に顔がそっくりでした。
小さな薬箱に入れられ眠っていました。 旦那は、仕事を休んでくれそばにいてくれて、一緒に赤ちゃんを見れて少しの間3人で過ごせ一緒に泣いてくれたくれたことが、いまでも心の支えになっています。出産が30分くらいと早かったため、次の日には退院させられました。
帰ってからは、火葬の予定とか皆への悲しい報告、上の2人の子育てに
追われ泣けるのは、夜、布団の中ばかりでした。心配かけまいと、強がっていてもやはり限界があります。時々思い切り泣くこともあります。でも今はそれでもいいと、悲しみを忘れなくてもいいと思えるようになりました。
あの日のあの出来事、エコーで写ったぐったりした姿、今でも鮮明に覚えています。人に話そうとすると涙で声がつまります。
もうすぐ3ヵ月が経ちます。出産予定日が近づくにつれ、今ごろは何週カナ・・・と落ち込みます。