1995年  25週
胎児水腫・染色体異常・多発奇形


25週(12月9日)かかりつけの婦人科医院のエコーにて異常を指摘され(12月11日)大きな病院へ。そのまま検査・入院(予定日の翌年3月までの入院を宣告される)
検査結果は胎児水腫と脳・心臓・臍帯に多発奇形。
そのときの私は、パニックになっていたと思う。染色体検査のため、お腹に針を刺す臍帯穿刺を行った。そのときの医師は和ませようと努めて明るく振舞ってくれていたが、ただ空しく、悲しく、なすがままの自分だったと思う。
それなのに、人前では極力悲しみを我慢し、見舞いの家族や医師・看護士の前では笑顔を向けていたように思う。
私の部屋は大部屋にたった一人きりで、夜になると声を出して泣いていた。
その運命の日の前夜「ママの中で死になさい」と泣きながら、思い切り自分でお腹を押さえ続けてそのまま眠り朝を迎えた。朝(12月13日)いつものように胎児の心音を見に来た看護婦と医師により、子宮内胎児死亡を確認。「医者はどうして急に・・・・」と言っていたように思う。(このことは10年以上経った今でも誰にも言えないまま)
翌日よりバルーン挿入、頸管拡張を行うが、効果なく12月20日子宮感染を伴った陣痛も発来し、胎児を娩出。私(母体)の感染治療後退院となった。