2004・6.16 33週 臍帯過捻転 |
2003年11月23日 検査薬にて待望の妊娠発覚する |
12月 5日 胎嚢発見も赤ちゃんの姿まだ見えない |
8日出血と同時に診察にて赤ちゃん発見、一安心 |
26日やっと出血治まり一安心する 安静もひとまず終了その後はつわりで苦しめられるでも赤ちゃんが元気に育っているということなのでママ頑張る。エコーでもクルクルとよく動く元気な子 |
2004年3月1日 初めての胎動、始めは気持ち悪かったけど動くたび幸せを感じていました。 つわりも終わり体調よく、よく動き回る(ママ) |
4月8日 男の子と判明。実は女の子を希望していたのでちょっと残念、でもすぐに親ばかぶりは発揮されました。男の子用の衣服、雑貨を買いあさる。これが何よりの楽しみでした。結婚5年、子供を切望してもなかなか恵まれなかったから・・・ しかし張り切りすぎたか同時に切迫早産と判明。長い安静生活が始まる。 頭が下がり気味だったり、頚管が17mmまで短くなったりと、 とにかく大変だった動けないストレスがたまったり姑や旦那への苛立ちやら 精神的に不安定にまでなったが子供の為と頑張った |
6月9日 頚管も30mmと良い状態となり赤ちゃんも大きくなっているということで安静とける。長かった〜 |
12日それからまたお腹がよく張るようになるもさほど気にして なかった |
15日パパの誕生日、しかし赤ちゃんの動きが少ない。 でも、時々あったから心配していなかった。明日になればまた いつもの様にうごいてくれるだろう、そう信じていた。 |
16日朝方鈍いがママの呼びかけに反応してくれた。動いたっ〜安心してしまった。心配は多少あるものの33週になってまさか何かお腹の中で起こってるなんて誰が思うだろう、眠いのかな〜くらいしか思っていなかった。いつもの様に聴診器で心音を聞いてみた。あれ?きこえないぞ。まさか。また移動して違う所に心臓があるから聞こえないんだ。またも安心してしまった、後になって後悔しまくったが、亡くなっているなんて思いもしなかった私が行動し始めたのはそれに気づいてから何時間も経った時だった胃の辺りで子供の足らしきものがあり、それを刺激するも反応がない。これは、と思い急いで病院へ飛んだ。が、しかしやはり遅かった。医者が顔をひきつけて亡くなってますね、と言った。何を言ってるのか理解できなかった。旦那は仕事だったのでいつも信頼している上司にすぐ連絡、すぐ駆けつけてくれた。旦那に言うと事故でも起こすと心配されたから連絡は避けたのである。私たちも一応医療従事者なので、上司と詳しい診断を聞いた。 原因はその場ではわからなかったがこういうケースはまれにあるとの診断だった確定診断は摘出してからでないとわからないとの事だった。 |
17日 入院すでに子宮口は5cm開大していた。子宮口を広げるバルーンを入れた。その日は結局陣痛はつかなかった。 |
18日9時より促進剤の点滴、午後1時子宮口全開大。それから 40分たらずでハルトを出産した。当然ながら泣き声は無かった。
空しく悲しい出産であった。1850gであるわりには、しっかりした体つきだった。更に悲しくなった。2時間泣き声の無いわが子をだっこした。眠っているかの様だった。今にも泣き声が聞こえてきそうだった。 旦那の誕生日の日、胎動の異常に気づいて病院へ飛んでいったならこの子を助けられたのに、又その翌日も・・・後悔ばかりが頭をよぎった。 駄目な母親だと自分を責めた。涙がかれるほど泣きまくった |
21日退院また自宅に着くなり涙があふれた。生まれるのを楽しみに過ごしてきた日々。それなのに私のお腹はぺちゃんこ。空しかった・・・近所の人にも顔を合わせるのが辛かった。何日も何日も泣き続けた。ごめんね、ごめんねと謝りながら。9ヶ月での死産だったからまさか骨が残るとは思わず、でもハルトは私達と離れるのが嫌だったんだろう、私と一緒に自宅に帰ってきた。 その遺骨に泣いて謝っていた旦那も泣き続けていた。この人の涙は始めてだった。余計悲しかった、私が主人まで傷つけてしまったんだ。 どうしよう、と・・・それから主人は仕事が始まったので行きだした。 でも私は一人自分を責め続け泣いてばかりだった。思い出せば何をしていてもあふれる涙。今まで生きてきてこんなに泣いたことはないだろう。本当にくるしかった |
7月16日 ハルトが亡くなって1ヶ月が過ぎた。その頃も相変わらず泣いてはいたが普段の生活が出来るようになった。少しずつ子供の死を受け入れられるようになってきたんだと思う。 色々考えた結果、ハルトを生かしてあげられなかったのは悲しい。でも考えようによっては、息子は私を助けてくれたのかもしれない。もしかしたら命の危険が私にも迫っていたのを彼が助けてくれたかもしれないじゃないか、その真相は誰にもわからない。私はそう考えることにして自分を責めるのをやめてその分前向きに息子の分まで生き続けようと決めたんだ。それから私は強くなった。今は短時間ではあるがパートに行っている。今でも寂しいし悲しい。 |
31日この子の予定日だったからだ でも、私は負けない。前を向いて歩いていきます。(ちなみに、死産の原因は臍帯が3箇所ねじれていて血行障害をおこし亡くなったということだった・・・) ハルトへママとパパは今必死に生きてますよ。あなたの分までね。 毎日ハルトが成仏するよう毎日お祈りしています安らかに眠ってください。 体はなくとも心はいつもパパとママと一緒だよ 完 |