2003年12月24日 39週7日 第一子  
臍帯巻絡

予定日は12月25日でしたので、最高のクリスマスが迎えられると思っていま した。
23日の深夜に陣痛がきて、日付変わり24日の3:30頃通っていた個人病院へ向かいました。 病院は、助産師さん一人が迎えてくれて、診察をしました。
子宮の開きはまだ、2センチくらい、赤ちゃんの心音も正常、陣痛の間隔も4〜5 分置きで問題ありませんので入院しましょうということになりました。深夜時間外だったので、付き添ってきた家族はみんな帰された。
「まだもっと痛くなるんですかね、どれくらいで生まれるんでしょ。」
「そうだ ね、まだ2センチだしね、初産? 初めてだと時間かかることもあるしね…」
助産師さんとはそんな話をしていまし た。 私は安静室に入り、ベッドに横になりました。4:00頃だったと思います。 部屋には私のほかにもう一人、先に寝ている人(妊婦さん)がいました。隣の人は とても静かだったので、 私も出来るだけ静かに我慢していたのですが、痛みの間隔がどんどん迫ってきたので、自然に呼吸が荒くなっていました。 明け方で眠気もあったので、少し痛みが治まると、ウトウトし、痛みがくると「 うぅぅ」って感じの繰り返しだったと思います。
6:00に「検温の時間です」とアナウンスが流れ、目が覚めました。程なくして、助産師の方が入ってきて、 私がかなり痛がっていたので、「あら、いよいよかな〜先に隣の人見るから、それからみて見ましょうね」って 言っていた気がする。かなりの痛みでしたが、「いよいよかぁ、それともまだ、 もっと痛くなるのかな」って思っていた。 助産師の方がお腹に丸いやつあてて、心音を探しますがなかなか見つからないよ うでした。 「胎動わかる?」って聞かれたけど、「痛くてよくわからない」って答えたよう に思います。 それから、急に助産師さんが一人バタバタし出しました。そのままベッドの上で 、内診を行い、「子宮は6センチくらいまで開いてきたんだけど、今、先生呼びますので診察してもらいましょう」って言われました。
「え?何かあったの?もう、生まれそうってこと?ちょーお腹痛いんだけど…」 ってくらいしか考えてなかった。 上の階に住んでいる先生が降りてきて、助産師に付き添われ、私は診察室まで歩いていきました。
お腹にエコーを当て、モニターを見ながら、先生が言いました。
「これ見える、赤ちゃんの心臓…止まっているの、動いてないんだよ、どうしちゃったの…」 私は、痛みの中で「はい」ってしか答えられませんでした。「お腹の中で赤ちゃんに何が起こったのか、家族の方に立ち会ってもらいますから。連絡していいね」って言われて、「お腹切って構いませんから、助けてください。」というのが精一杯でした。
「もう、心臓止まっているから、お腹切っても仕方ないんだよ。子宮も開いてきてるし、陣痛も来てるからこのまま家族立会いの元、 出産しましょう」と言われました。
何も考えられませんでした。でも、どこか冷静な自分もいました。 安静室に戻りながら、「今何時ですか」と付き添ってくれた助産師の方に聞いた 。 6:30前…
部屋に戻ってから、助産師の方に「先生に何て言われたかわかる?」と聞かれたので、 「赤ちゃんの心臓が止まってる」と…隣に寝ていた妊婦さんも聞いていたと思う が、すぐに彼女は別室に移されていった。 お腹はどんどん痛くなるばかりで、生まれたら何とかなるんじゃないかとも思っていました。
家族が来て、私は痛みをこらえながら「どうしよう、赤ちゃんの心臓が止まってるって…」と言いました。
主人は目に涙を浮かべながら、「大丈夫、大丈夫、がんばれ、がんばれ」と言ってくれました。 母も痛む私の背中を摩ってくれました。温かい母の手のぬくもりを感じ、ホッと したのを覚えています。 元々立ち会い出産ではなかった主人が急遽立ち会うことになり、分娩室に向かい ました。
何度も何度も息んで、息子はやっと出てきてくれましたが、やはり産声は上がりませんでした。 先生の手の中に息子の後姿が見えた。
「ほーら出てきたよ、男の子だね…うわぁ、こんなにキツク臍の緒が巻きついて いる、旦那さん、見て。ほら、分るよね。」 先生はそう言いながら、息子の首と腕に巻きついていた臍の緒をほどいていた。 主人は目に涙を浮べながら、ハイと返事をしていた。
先生の手の中に見えたのは 、小さい、小さい、背中だった。
母子手帳には、 体重2998グラム  死産  羊水混濁、臍帯頸部・上腕巻絡  と記載されてます。
それから、私は点滴され、処置を受けた。その間も、主人は側についていてくれ た。 けど、主人もフラフラ。いすを出してもらい、腰をかけたけど、なんだかフラフラで床に座っていた。ごめんね…
それから、息子は肌着を着せてもらい、赤ちゃんのベッドに寝かされて、私の横へ来ました。 横顔はまるで眠っているようでした。「ごめんね。」そうつぶやいた。
「誰に似ている?」と主人に聞きました。「う〜ん、なんか赤ちゃんって皆同じ顔じゃね?」 息子の横顔…なぜか「抱かせて」と私は口に出来ませんでした。 それから私は分娩台の上から、ストレッチャーで病室に移動した。 息子とはそれっきりになってしまった。
気がついたのは、先生の呼びかけの声でした。少し体を起こすように言われて、起き上がろうとした瞬間に気持ちが悪くなり、 枕の横に嘔吐してしまった。
そして、また眠りについた。 また気がつくと、主人のご両親が来ていました。
お義母さんの顔をみて、「お母さんすいません」とつぶやきましたが声になりません。 みんなが慌しく動いているようでした。でも私は何も考えられなくて、眠るだけでした。これは、夢かも知れないと思いながら… 皆がいなくなり、夕食が運ばれてきました。看護師の方は何も言いません。 私は、息子のことが気になっていました。でも何も言えず、何も聞けませんでした。
今日はクリスマスイヴでした。食事もなんだかクリスマスチックでした。 それから、主人が両親を送り戻ってきました。とても疲れきっているようでした 。
やっと二人になれました。 「大丈夫か…」と声をかける主人の手をにぎりしめ、私はしばらく泣きました。 なんでこんなことになったのだろう・・・涙が止まりません。最後まで「柊―シュウ―」と「晴天―ハルタカ―」どちらにするか名前を決められないでいましたが、 名前は「晴天」にしようと主人がいいました。
起きた事はもうしょうがない。晴はいないけど、俺達の心の中で生き続けるし、 俺はあんたさえ元気でいてくれればそれでいいと言ってくれました。 私達の結婚のきっかけを作ってくれた大切な息子です。前向きに頑張ろうと言ってくれました。
12月25日 晴は棺に入れられ、自宅に帰ることになります。
主人が、私に聞いてきました。 晴に会うか、どうするか。私は当然、母親としてきちんと晴にお礼とお別れをしたいといいました。 主人は分ったと言って部屋を出て行きましたが、やがて戻ってくると、「晴には 会えないらしいんだ」と言いました。 「うちのおかんもあんたの母さんも、子供には会わないほうがいい」と言ってると… 情がうつると私が後でもっと苦しむからと…俺はおまえのしたいようにさしてやりたいけど、どっちがいいのかわからない。私もどうしていいのかわかりませんでした。会いたいとは思っていました。でも 、そこまで深く考えられませんでした。 強く希望することも躊躇われました。 自分の気持ちも上手く伝えられないままに、結局まわりの言いなりと言うか、まわりの判断に任せてしまいました。 主人は、私の分もちゃんと息子に伝えるからと言ってくれました。
私は眠れぬ夜を過ごしていました。 先生は、「考えるなといっても無理だろうけど、でも自分の体のことを考えてとにかくゆっくり眠りなさいね」と気遣ってくれました。 看護師の方達は何も触れず、ただ気を使って下さっているのはわかりました。病院も年末にかけて、忙しかったことでしょう。 私の両隣の病室は一夜にして埋まっていました。私は一人で個室を使わせてもらい、悪いように感じました。 元々お願いしていたのは相部屋でしたから、病院の配慮にとても感謝しています 。
明日出棺…そう考えると私は気が狂いそうでした。なぜ、会いたいと強く言わなかったのだろう… 晴に、会えなくなる。やっぱり会いたい。今からでも会わせてもらえないだろう か…もう、夜の12時をまわっています。 主人に電話をして、迎えにきてもらおう。晴を連れてきてもらおうと、携帯を握り締めていました。 でも、電話を掛けることは出来ませんでした。ほんとにほんとにつらい夜でした 。
26日朝になると、胸の当たりが冷たく感じました。何かこぼしたかと思い、覗きこみましたが何もありません。 また、しばらくすると冷たく感じ、そしておっぱいがキューンと痛くなりました 。固く、おっぱいが張っていました。 看護師の方に伝えると、張り止めのお薬を飲んでるから無理にお乳出したりしな いで、触らないようにしてねと言われました。 胸を冷やすように保冷剤を渡されました。初乳には免疫効果がたくさん詰まって いるから、赤ちゃんには絶対に飲ませたいと思っていました。
晴に飲ませたい…また涙が出てきます。お空に帰ってしまっ た…晴
後悔の始まりです。辛く、悲しい日々が続きました。
退院後
ひとまず実家に帰りました。晴のベビーベッドが組み立ててありました。
大声で泣きたいけれど、泣けませんでした。 声を押し殺して泣いていました。
泣いても泣いても、涙は、いくらでも出てきま した。 目が痛くてテレビの画面も見れませんでした。頭も痛くなるほどでした。 自宅に戻ってからも主人と二人でおもいっきり泣きました。 どうしてうちの子なの。なぜ…こんなことになるなんて、こんな目に合うなんて、私何かそんなに悪いことをしたのかな… しばらくの間は、涙を止めることが出来ませんでした。
外で赤ちゃんや妊婦さんを見かけるだけで、涙をこらえるのに 必死で、外出することも減りました。 息子に何もしてやれなかった。触れることも、抱いて上げることも、お乳を含ませることも…何もしてあげられなかった… 誰にも言えない、聞いてもらえないことも辛かったのかも知れません。
1年たって
奥さん一番、子供は2番という考えの主人と、子供一番、その他2番と思う私とで言い争うこともありました。 だけど、Withゆうとの出会い、お話会などへの参加をきっかけに、前向きに冷静に考えられるようになりました。 泣くことしか出来なかった1年前と違い、悲しみの形が肯定的に変わってきたと思います。 主人とまた未来のことも考えられるようになりました。
1歳になった息子の姿を想像することは出来ません。思い出せるのは、あの横顔 と小さな背中だけです。 息子のために何をしてあげられるか考えると切なくなることもありますが、支えてくれた周りの皆に感謝し、 いつの日か息子に出会える日が来るまで、主人と二人で一生懸命がんばろうと思います。