2004.5.30 22週
子宮頚癌後の頚管無力症及び前期破水

16年4月1日
妊娠14週目 子宮縫縮手術をした。
前日から絶飲食の為 お腹が減って朝から大騒ぎ。響は元気!!
4月12日 
出血もあってかなり心配もしたが何とか無事に退院出来そう。
21日
16週4日 退院後診察。響は一段と大きくなっていた。性別も男の子と判明。
28日
17週4日 子宮頚管長の長さやベビーの状態を見て終了!!
ベビーは18週くらいの大きさでOK!!子宮頚管長も、前と変わらずだったので、今度の診察は二週間後になった。(^○^)
5月12日
19週4日 『子宮頚管長の長さが分らない??』不安になる。
「もたないかもしれない」そう言われてかなりのショックを受けた。
スタートの時点で普通とは違うんだし、何かあったらすぐに病院に来ること!!」
26日
21週4日 超音波では異常無し。内診が終了後。子宮口が1,5cm開いているので緊急入院。前日に水っぽいおりものがあった。きっと高位破水だったはずだ。
27日
21週5日 子宮口の入り口を再度縛る為に手術。前日から絶飲食。響は元気。
28日
21週6日 術後の診察では異常は無かったが、お昼ご飯後トイレに行き水っぽい赤い出血。診察の結果破水と判明。高位破水かもしれないので、個室に移りウテメリンの量を増やし観察。尿道カテーテルを挿入して、一時間後『ばしゃ』っと一気に破水。医師からの宣告。「助かりません」子宮口の糸を取り、陣痛促進剤を使用して赤ちゃんを出します。と言われる。食事が喉を通らない。食事を見ると涙が出てくる。
29日
22週0日 陣痛室に移り、12時過ぎ、陣痛促進剤の点滴開始。点滴の量を30分に一回上げに来る。
14時頃に出産室に移るが、縫縮術の後が硬くなって子宮口がうまく開かない。
子宮口2cm16時半頃、辛さと痛みと、子宮口が開かないので『頑張れないからお腹を切ってくれ』と頼む。医師の判断で、今日はいったん促進剤をやめて、
休んで明日頑張りましょう。との事。『響』と最後の夜。パパとママと三人の最後の夜。食事が取れないので、下痢が酷くなる。
30日
22週1日 朝から促進剤開始。食事を取れないのでOOOOゼリーを飲む。いきむ為に泣きながら飲んだ。お昼過ぎ、痛みは酷くなる一方で、子宮口が縫縮術の傷跡が硬くなって開かない為に主治医が無理矢理、その固い部分を内診中指で切断。痛くて泣き叫んだ。モニターをつけたが陣痛の波が不安定。一時間後、子宮口は3cm程に。14時過ぎ、響の頭が下がってきているのが自分で分った。「いきみたい」って訴えたときには、子宮口は4,5cm程。出産の準備をしますと言われ、必死にいきみを逃した。準備が出来て、「いきんでも良いですよ」の声。心の中でごめんね・・・と叫びながらいきんだ二回目で響は産まれた。産声もあげないまま。へその緒を切って頂き。私の胸の上に。温かった。少しだけ息をして、小さな口を少しだけ動かして響はお空へ逝った。そのちいさな体を壊れないように抱きしめた。
「辛かったね。ごめんね。」謝ることしか出来なかった。
二時間程、響とパパと三人で過ごした。パパと交互に抱っこして、眠っているような我が子の死をまだ、認められないままだった。