21週5日  2007.11.1
子宮内胎児発育遅延(人工死産)

不妊治療、顕微授精の末、やっと授かった赤ちゃん。
とってもうれしかった^^

しかし19週の時に、子宮内胎児発育遅延と診断されました。2週分発育が遅れているらしい。でも、たった2週間分でしょ?っていう気持ちで、あまり気にしてませんでした。

通っていた不妊専門クリニックでは対応できないため、NICUのある総合病院へ転院を薦められ、翌日早速行ったところ、担当になった先生は困った顔。。。
この時期に子宮内胎児発育遅延が発病するのはめずらしく、しかもこの時期に2週間分発育が遅れているということは重大な問題らしく、これから育っていくのも、産まれてから助かる可能性も、極めて低いと言われました。

まさかの余命宣告。それからは何か治療法がないものか、ありとあらゆる検査をしましたが、どれも異常なし。じゃあ何が悪いのか、どうしてこうなったのか、自分を責めるしかありませんでした。

夫婦でとことん話し合った結果、残酷ですが、人工死産という道を選びました。なぜなら、私たちがもし自然妊娠できる夫婦なら、赤ちゃんが成長を止めてしまうまでおなかにおいていてあげるという選択をしたと思います。しかし私たち夫婦は顕微授精でしか妊娠できないので、それにはたくさんの時間とお
金がかかってしまうため、次へのスタートを早くきるという選択を、せざるを得ませんでした。

2007年11月1日、かわいい小さな女の子を出産しました。
通常、母親の精神的ダメージが大きいため、胎児を母親に見せることは少ないらしいのですが、私は見ないで後悔することはいやだったので、見ました。まだへその緒と胎盤がつながったままの、小さな小さな赤ちゃんでした。でも、息はしていませんでした。

名前を穂果(ほのか)と名づけました。
穂果と過ごした5か月半、とても幸せでした。戸籍には載らないけれど、私たちの大切な長女です。本当にありがとう。
そして、ごめんね。