はじめに・・・
私が樹里を失ったのは、平成10年11月10日(月)もう4年も前の事です。
実際 供養できたのは去年平成13年5月20日(日)。それまでお骨になった
樹里 と平成13年3月28日(水)までパパと3人で暮してました。 それからは私とお骨になった樹里と、ふたりで供養の日までを過ごしました。
私独りの樹里の見送りでした。
樹里と名付けたのも私です。それまでは名前もな い赤 ちゃんでした。今となっては私以外の誰が樹里を忘れないでいてくれてるのでし
ょう。
みなさんに樹里が生きていた事を知って頂きたくて、これから先少しずつ書かせ
て頂 きたいと思います。 |
H10.3.15
主人の仕事(運転手)に付いていっていたら、今までに感じた事のない両方の下
腹部 がキュッーとする痛みがたびたび。産婦人科へ。何が原因なのか分らず「1週間
後に また病院に・・・」との事。 |
H10.3.22
再び病院に。名前を呼ばれ診察台に乗ると『妊娠してるよ!』って。主人も呼ば れカ メラから見えた まだマルにしか見えない樹里との初めての出会いでした。
妊娠なんて考えた事がなかったのに..嬉しかった。だって私は妊娠出来ない体かも.. .と 以前に言われてたから。尿検査もしなかったし・・。
主人の顔は何故か喜びでは なく、 「訳が分らない」みたいな表情でした。私が27歳の時です。この日 妊娠2か月
(満5週+2日)。 |
H10.3.25〜
さすがに日付けは定かではありません。私はアダルトチルドレン、主人はアルコ
ール 依存症の夫婦でした。私はその当時 安定剤を飲んでました。その為、妊娠を告げら
れた産婦人科では、「これから先の診察は出来ない」と断られました。
他の何件かの病院も同じでした。もちろん毎日薬を必要としていた訳ではなかったし、妊娠を 知ってからは安定剤は辞めたのです。
精神科にはカウンセリングの為に横浜から横須 賀まで通いました。赤ちゃんが大切だったから・・・
でもお腹の痛みはおさまらず 流 産の可能性もあり、どうしたら「赤ちゃんを無事に産む事が出来るの?」と・・毎日泣き続けました。精神科の先生は「今飲んでる薬は大丈夫!」と保証してくれ しかも
産婦人科が受け付けてくれないのなら・・と紹介状まで書いてくれました。そして大きな病院に通う事になりました。その病院では、あっさりと受け入れてくれたのです。感謝しています。
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