平成15年 7月19日 40週6日  普通分娩にて出産  
         7月22日 PM12:51 第一子 男児 新生児死
原因:胎児水腫、のう胞性リンパ管腫、先天性心疾患、
心内膜床欠損症、大動脈 離断、水腎症

待望の妊娠
結婚して10年、待ちに待った赤ちゃんがお腹にやってき た(^^) 病院へ行って妊娠を確認。超音波写真をもらう。この小さ な豆粒のようなのが旦那サンと私の赤ちゃん・・。 この日は私の32回目の誕生日だった。最高のプレゼント !神様ありがとう!!
異常・・・
8ヶ月検診の日。この日は旦那サンも一緒に行った。逆 子も治り、性別も男の子だろうと分かり喜んでいた。 (29週3日)
・・でも先生は無言のままジッと超音波画面を見ていた 。  『何?何だろう・・・』不安になった。「首の後ろ辺りに何か黒いモノが3つあります。紹介状を書きますからそちらで診てもらって下さい」と言われた。 こんなに元気なのに・・・何が起きてるの??頭の中はパ ニック状態だった。
転院〜臨月  
介状を持って病院へ行った。超音波でじっくりと診ても らう。首の後ろの黒いモノは確かにあり、腹水もみつかった。すごくイヤな予感がして画面を見ながら涙が溢れてきた。首の後ろのリンパにリンパ液が溜まっていて、そのせいで腹水が溜まっていると言われた。心臓の異常・染色体の異常で起きるコトもあるという・・・。染色体異常を調べるために羊水検査をした。異常はみられなかった。心臓にも異常はないらしい。あとは週一回、検診で経過を診ていくコトになった。私は何だか落ち着かず、病気のことをPCで調べてみた。赤ちゃんの症状と重なる部分が多い『胎児水腫』と言う病気を見つけた。もしこれだとしたら・・・胎内死か産まれてきても数時間 しか生きられないらしい。
・・・考えたくなかったけど『死』の文字が見え隠れし始めた。お腹の赤ちゃんは凄く元気だった。不安になってる私達を励ましていてくれたのかも知れない。そのおかげで『もしかしたら何事もなく元気に産まれてきて、意外と大丈夫かもしれない!!』と思うようになった。
臨月に入り、名前も『海斗』と決めた。
心配していた腹水も減ってきたみたいだ・・と先生に言われてホッとした。お産も普通分娩で大丈夫とも言われた。でも、異常がなくなった訳ではないから、少し入院して検査して治療すれば、一緒に生活が出来るだろう・・と思っていた・・・。
出産〜NICUへ 
予定日になっても海斗は出て来ようとしなかった。『まだ産まれて来たくないのかな?早く出ておいで〜』と話しかけていた。陣痛が来るように一生懸命歩いたり、スクワットしたりした。そのお陰か、予定日から6日経った7月19日。午前中から腰が痛くなり始めた。『やっと海斗に会える(^^)』痛いけど嬉しい気持ちが強かった。
今思えば、海斗は自分が産まれてきたらどうなるのか、パパとママがどういう思いをするのか・・・全部分かっていたから、なかなか出てこようとしなかった のかもしれない・・・・。分娩台にあがって2時間とちょっと、
午後10時46分  海斗が産まれた!身長53.5cm 体重4164g・・・大きな海斗。   
『やったぁ〜〜(^o^)』達成感で胸がいっぱいだった。取り上げられてすぐに海斗は、分娩室で待っていたNICUの先生の方へ連れて行かれ、吸引をされていた。
あ、そういえば海斗泣いてない・・・・どうして!? と 思った瞬間、『ウンギャー ウンギャー!!』少し小さい声ではあったけど、泣いてくれた。
あぁ、良かったぁ、大丈夫だと安心した。その後、海斗は NICUへ行ってしまった。
宣告・・・
夜中の3時過ぎ、旦那サンがNICUへ呼ばれた。・・・すぐに戻ってくると思っていたのに、なかなか戻ってこない。部屋で一人、凄く不安な気持ちで待っていた。旦那サンが戻ってきて『非常に危険な状態なんだって・・・ ・』と言った。え??何言ってるの??ウソでしょう・・・・・・。この時、私は『胎児水腫』のコトを思い出した。この時は まだ病名とかもハッキリしてなかったが症状を聞くと、やはり当てはまる部分が多すぎる・・・『 あぁ、やっぱり・・・・』と思った。5時間前に海斗を産んで、嬉しい!と思っていたのに、死の宣告とも言える現実を叩きつけられ天国から地獄に突き落とされた気持ちになった。
面会
NICUへ海斗に会いに行った。産後間もないので体は凄く辛かったけど、それでも海斗に会いたかった。海斗は点滴の管が手・足・おへそ・・とあらゆる所に刺さっており、呼吸器も付いていた。『え??これが海斗なの??ウソでしょう・・・・』呆然と海斗を見ていると先生が『非常に危険な状態で、残念なんですが時間の問題・・・・ だと思います』と言った。頭の中はパニック状態だった。『・・・・・そんなぁ。神様なんて居ないんだ!!ひどい! !さっき産まれたばかりなのに・・・・』海斗の手・足・顔を撫でながら『海斗、頑張って!海斗、パパとママだよ〜分かる??』と声をかけていた。時折、その呼びかけに手や足をピクン★と動かして答えてくれた。嬉しかった。
・・・海斗に何もしてやれない自分が悔しかった。海斗はいつも右目に涙をためていた。痛いのかなぁ、辛いのかなぁ・・・・ゴメンね、海斗。心の中でいつも謝っていた。
天使になった 
7月22日。朝、NICUから呼び出しがあった。海斗『危険な治療だけど、腹膜透析をやってみたい』とのコトだった。海斗はギリギリの量の薬を使っていたのだが成果がみられない・・・このままの状態だとあと1日もつかどうか・・・・と言われた。
危険な治療なので、もしかしたら治療中に海斗は天使になってしまうコトもあると言われ悩んだが、生命力の強い海斗に賭けるコトにした。奇跡が起きて欲しい!!そう願った。
治療が始まるまで海斗の側にいた。海斗の前では泣かない様にしていたのだが、この時は堪えきれずに涙がポロポロと止まらなかった。『海斗頑張れ!!』と思う反面、『もう休ませてあげた方が 良いのでは・・・』と心の中で葛藤していた。
お昼を食べて12時半過ぎ。NICUから呼び出しが・・・。『あぁ、きっとお別れなんだ・・・・』そう思うと海斗に会うのが怖かった。でも会いたい・・・複雑だった。
海斗の周りには沢山の人が居た。先生が心臓マッサージをしている。海斗の体の血色も、機械の数値もかなり悪い・・・・。あぁ、海斗はもうすぐ天使になってしまうんだなぁ・・・・と実感した。『海斗、もう良いよ。よく頑張ったね。だからネンネしてい いからね・・・』心の中で海斗に話しかけた。声に出そうとしても声が出なかった。マッサージをしている先生の手が止まった・・・。
・・・・・午後12時51分、海斗は天使となり空へ帰って いった。機械をはずされ、綺麗にしてもらった海斗を抱っこした。
ずっしりと重かった。全身浮腫のせいだと思う。むくんではいたが、海斗は凄く可 愛い顔をしていた。天使になったとは思えず、寝ているみたいだった。旦那サン にも私にも似ていた・・・。この子が海斗、私達の子供なんだなぁ・・・・・ずっと顔を見ていた。
『短い命と知りながらも産まれてきてくれてありがとうね。 よく頑張ったね。またパパとママの所に帰ってきてね』何回も海斗に話しかけていた・・・。
その後・・・
海斗が天使になったコト、いまだに信じられずにいる。夢の中での出来事のようだ。『朝起きたら元気良く泣いてるんじゃないか?もしかしたらま だお腹の中にいるんじゃないか??』・・・そう思いながら起きても海斗は居ないし、お腹もペチャンコ。その度に悲しみが襲う。平気でテレビを見ながら笑ってる私、『何で海斗は居ないのぉ !?』と悲しくなって大泣きしている私。何もする気も起きなくて、ただただボーっとしている私・・・悲しみ、憎しみ、淋しさ、脱力感・・・・自分でもどうしていいのか分からない。どうして良いか分からない自分に、早く元気にならなくては! と言う自分に焦ったりして・・・・。
旦那サンが『ゆっくり元気になればいいよ』と言ってくれるのが唯一の救いだ。肉体的にはかなり戻ってきたけど、心がどうしてもついていかない。・・・・でもいつかは心も追いつく時がくるのだろう。その時まではゆっくり、ゆっくりと前に進んでいきたいと思っている。今は時が止まってる感じだけど、ちょっとずつ時を進めていけたら・・と思ってる。
海斗、産まれてきてくれてありがとう。またきっと帰ってきてね。それまでは、悪空から見守っていてね。いっぱい色々なコトを教えてくれてありがとう。
海斗の重みは命の重み・・・・・絶対に忘れないよ!!