2005.6.10 35週
18トミソリー 

4ヶ月検診までは「順調」と言われており、私自身もそう言われる事が当たり前と思っていた。5ヶ月検診の頃から「順調」という言葉が「ちょっと小さめ」に変わり、8ヶ月の頃には赤ちゃんの大きさが発育曲線を大きく下回った。それでも赤ちゃんは元気に私のお腹の中で動いていた。
8ヶ月の終わり頃、お医者様から念のための羊水検査を勧められ、その結果を待たずにお腹の赤ちゃんは天使になってしまった。胎動が無くなった事に気付きたくない私は「1日だけ様子をみよう。明日になったらまた元気にお腹を蹴ってくれるかもしれない・・・」という望みに賭けた。でもエコーで確認したお腹の赤ちゃんは動いてなくて静かだった。既に子宮口が2cm開いており陣痛促進剤を使用せずバルーンを入れただけで陣痛がきた。軽い出血から8時間半後、我が子を出産した。私の赤ちゃんは助産婦さんによってすぐに別室へ連れて行かれ、本来あるはずであろう後産は赤ちゃんと一緒に娩出されてしまったのか後産の痛みはなかった。私の赤ちゃんに会ったのは次の日。助産婦さんに連れて行かれたその部屋は『汚物処理室』。霊安室で眠っていると思っていた赤ちゃんはそんな部屋の冷蔵保管庫に寝かされていた。冷房も無い部屋での赤ちゃんとの面会。冷蔵保管庫から出された赤ちゃんはみるみる汗をかいている。本来9ヶ月の大きさであるはずの赤ちゃんはその病気のため7ヶ月位の大きさでとても小さかった。赤ちゃんを抱っこするため動かす度に小さな鼻から鼻血がたれる。お腹の皮膚もめくれてきている。もっとゆっくり赤ちゃんと過ごしたかったが暑い部屋にいては赤ちゃんがどんどん汗をかくので少しの間で我慢した。その後赤ちゃんを引き取り火葬をし納骨した。どこにも載らない名前だが夫婦2人で考えた名前をつけ、法名も頂き、今わたしの赤ちゃんは眠っている。