原因不明
心音がなくなったと分かった日 24週5日2012.10.9
産まれた日           25週1日2012.10.13


ママにとって12年ぶり3人目の赤ちゃん パパにとって初めての赤ちゃん のりくんがお腹に誕生したときすぐにわかった。でもママはすごく悩んだ。安定した仕事について2ヶ月安定した収入をえられると思っていた。お姉ちゃんお兄ちゃんは小学校を卒業 やっと子育てに一段落。この年で赤ちゃんを産む自信はあるだけど二十歳になったときママはおばあちゃん 大丈夫?パパ お姉ちゃん お兄ちゃんに伝えるまで数日かかった。パパもお姉ちゃんも喜んでくれた・・・けどお兄ちゃんはすごくママとのり君の心配をした。「ママ赤ちゃん産むのやめて・・・ママは高齢出産だからママも赤ちゃんも死んじゃうかもしれないんだよ」お姉ちゃんにも「ママ大丈夫?」とお兄ちゃんはいっぱい心配してた。「大丈夫だよ」それでも心配していただろう。はじめの二ヶ月は三人目ではじめてつわり、下腹部痛に悩まされた。暑い夏を迎え、つわりも次第になくなりつつ、いつも下腹部痛。お腹は三人目だから?すごく前へ出ているしかも下がり気味のうえ張りが酷い。足のむくみも酷い。大丈夫?何度となく病院へ足を運んだ。順調! 医師はママの年齢 12年ぶりということを忘れていたようだった。だけど子宮ガン健診で感染症にかかっていることがわかった。それから治療が始まった。一度目は錠剤 二度目は子宮へ直接。6ヶ月健診(6ヶ月最終周期)で再度検査。その頃のり君は静かな赤ちゃんだな あまり動かないな と思っていた。でも健診では元気な様子が見えた。この健診から数日後 お祖父ちゃんおじちゃん夫婦からママは責め立てられ激しい頭痛と酸素不足になった日があった。その次の日からのり君はとても静かになった。 連休明け会社に頼んで朝から病院へ向かった。どうか生きていて。そう願いながら・・・医師から何があったんだ?心音が止まっている!まるで独り言のように告げられた。嘘だと信じたい。どうか間違いだったと言ってください。呼吸が苦しくなり頭の中は灰色に覆われた。 医師にこの病院では母体の危険性があるため処置ができない、手術になるかもしれないなど言われた。ママはショックで話が聞き取れず何度も聞きなおした。 次の日から大きな病院で処置がはじまった。ママはのり君がお腹の中で・・・て受け入れられなかった。普通に出産する気持ちで入院した。処置がはじまって3日目陣痛が酷くなり、どうか生きて産まれてきて!そう叫んでいた。4日目の朝 それまでの陣痛の痛みとはうらはらにのり君は静かに優しく産まれてきてくれた。まだ暖かく小さなのり君を抱き「ごめんね 大好きだよ 帰ってきてね 待ってるよ」 沢山の言葉と涙があふれでた。パパも大粒の涙を流していたとおもう。パパはママが入院している間会社を休んでずーとついててくれた。ママが陣痛で苦しんでいるとき 下腹部が痛くてたまらなくて黙って辛そうな顔でお腹をさすってくれた。パパは ママもこのまま天国にいてしまうんじゃないかと思ったて後から聞いた。パパは天国にいるのり君のおじいちゃん おばあちゃん ぴーちゃん達に のり君を連れて行かないでね ってママのお腹に誕生してからずーっとお願いしてたんだって。ごめんね パパ 義父 義母 お祖父さん お祖母さん そして のり君。ママがいけなかった。もっとちゃんとのり君のこと考えて行動すればよかった。あの痛みに気づいてあげればよかった。二人産んでるからと変な自信があった。 産まれるって当たり前じゃない お腹に赤ちゃんがいるってすごく大変で当たり前に過ごしちゃいけない小さなことに気づいてあげれなかったこと本当にごめんね。お姉ちゃん お兄ちゃん 貴方達の兄弟を元気に産んであげれなくて 逢わせてあげれなくてごめんね どんなに沢山あやまっても謝りきれない じいちゃんがね ママが陣痛で苦しんでいるとき 看護婦さんに「何でこんなに苦しませるんだ 死んでる子を早く出してくれ」と言ったの えっ!て思った。ママはね、じいちゃんのことあの日以来顔も声も見たくないって思ってた。 だけどママはじいちゃんの子供 自分の子供が苦しんでいるところ見たくないんだよね。じいちゃんの精一杯の言葉だったのかも ママはその時 死んでるんだ て思い知らされた。
火葬の日 じいちゃんはベビーカゴの小さなのり君を抱き 人目もはばからず声を出して泣いてた じいちゃんだって孫を亡くし辛くて仕方ないんだと ママは じいちゃんのこと許してあげることができたよ。のり君のおかげだね。
もっとたくさん話したいけど のり君へ たくさんの ありがとう と伝えたい