1月19日生理が妙に長引いてるし下腹が張り胸も張っていておかしいということで病院へ。妊娠発覚と同時に切迫流産で絶対安静との指示。
1月23日、心拍確認出来たけれども2週間は絶対安静と言われて、仕事を辞め長い実家生活が始まりました。
2月6日に絶対安静解除になったものの、あんなに出血していたのに無事育ってくれるのかという不安が常にあり、つわりもひどくてほとんど寝たきりの生活が続きました。4ヶ月過ぎてもつわりは終わらず辛かったけど、母子手帳をもらったり、超音波エコーで元気に動いている姿を見るとかわいくてかわいくて。マタニティグッズを買ったり幸せでした。
5ヶ月目やっと安定期に入り、つわりは未だあったけれども、4月3日戌の日で腹帯を巻いて4月8日、やっと実家から夫の待つアパートへ戻りました。
4月11日5ヶ月定期健診。元気に手足をパタパタさせてて大きさも全て標準でこの時期の見え方としては何も問題ないと言われました。大きくなってきたお腹がもう少ししたらムニュムニュ感じるようになるのかな?!と浮き浮きでもう無事に生まれることしか考えていませんでした。その夜、超音波映像をビデオに録画してもらったので夫と再生したら病院では映像を確認出来たのに白黒の波のようなものしか映りませんでした。翌日実家にテープを持って行って再生したけどやはり映りませんでした。その時妙な不安感に襲われて、その夜からとても夢見が悪くなりました。
4月15日夜中、眠りについた後度々トイレに目が覚め、何故か真夜中に便通がありました。その内、今まで感じたことの無い張りが始まりトイレに行ったらピンク色のおりものや鮮血がティッシュについたので4月16日早朝4時頃入院しました。
既に羊膜の一部が子宮口から出ていて赤ちゃんの方に羊水がなく心拍微弱とのことで張り止めを点滴をして様子を見ると言われました。ところが張りは治まるどころかどんどん強くなる一方で、間隔も短くなってきました。もう身体が流産に向かっているので止められないから自然分娩と告げられました。
産んでも生きる力がない赤ちゃんを産む陣痛に耐えるのは物凄く辛くて涙が出てきました。源五郎は自分が生きられないことを知っていてビデオに姿を残すのを嫌がったのかなとか痛みの中考えたりしました。夫や看護婦さんがずっと腰をさすっていてくれました。結局病室から診察室に移動させられる途中のベットの上で破水してすぐに赤ちゃんが出てきてしまいました。
子宮の中を掃除する手術をされて麻酔が覚めた後、夫と二人で源五郎に対面しました。予想通り男の子で、とても小さいけれども手も足も指もあってかわいくて少し微笑んでいるような表情でした。涙が止まりませんでした。
4月19日。退院。小さな源五郎を小さな棺に入れて、着せたかったSNOOPYの服やお菓子やお花、ミニカー等と一緒に火葬しました。小さいから骨も残らないんじゃないかな?と思っていたけどちゃんと残っていて小さな骨壷に入れて夫の実家のお墓に埋葬しました。
ご住職が、「子は知恵なり。身をもって命の尊さを教えてくれた。水子地蔵に連れられて、お釈迦様の庭で他の赤ちゃんと遊んでいる」というような話をしてくれました。
源五郎は産声をあげることもなく天使になってしまったけれども私達夫婦の初めての子供です。戸籍に残ることはなくても一生忘れることはありません。
私達夫婦が早く立ち直ることがこの子にとっても供養になると思うので、時間はかかると思うけれども運命だったのだと受け入れて未来を考えていこうと、夫や両親と話してます。
源五郎はきっと強くなってまたこの世に生を受けると信じて祈っています。 |