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臍帯捻転

できちゃった!3回初期流産を経験した後4年後の出来事でした。今度こそ赤ちゃんの為に私はすべてを捧げる、と決心したのが幸いしたのか、今まで経験したことがなかった妊娠15週。今までの最高記録が14週でしたから。つわりもほぼ治まり職場でもご機嫌にすごしていました。自分なりに14週を過ぎたってことで出産への意欲と希望が満ち溢れていました。
胎動っていつわかるのかな?って先生に聞いてみたら、エコーではくるくる動き回ってるよって教えてくれた。私も感じたい!早く赤ちゃんを感じたい!そう思う毎日。でも仕事が忙しかったせいか20週になってもなかなか胎動が感じられなかった。
ある日、0時を過ぎていつもはもう寝ている夫と珍しく同時に床に就いた。
妊娠21週後半になっていた。3日後検診があるけど性別はそろそろ分かるのかなっていう話をしていたら、今まで感じたことがないぐらい激しい胎動を感じた。
今すごい動いたよ!触ってあげて!って夫を促した。・・・分からないな。って言いながら次の胎動のチャンスをしばらくうかがっていたが、時間も時間なので二人とも寝てしまった。2日後、私は定期健診のため仕事を休んでいた。
夫は出張する予定で出勤した。朝9時、いつものように朝一で検診に出掛けた。自宅から徒歩5分の病院。その間、いつもよりお腹が何度も硬くなる。どうしたのかな、でもすぐ診てもらえるから聞いてみよう。内診に続き胎児の心音を探してくれる先生。どこに行ったのかな?と先生があちこち探す。先生の顔が一瞬曇る。そして予定していなかったエコー。画像は私には見えない方向にあった。赤ちゃんの心臓が弱くなっているから、午後にご主人と一緒にもう一度来てください。と告げられた。主人は出張に出たと思うので今日は無理です、と私は呑気に答えた。駄目、ご主人を連れてきて。と先生はいつになく強気だった。そこでようやく気づいた。赤ちゃんがおかしいって。病院を出てすぐに主人の携帯にコール。すでに飛行機に乗っているはずだった主人が出た。出社後トラブルで飛行機を遅らせたよって。すぐ帰ってきて、赤ちゃんがおかしい、先生にも呼ばれてる、って泣き叫びながらお願いした。数十分後、高速を200キロ近く飛ばして帰宅してくれた。結果、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていた。家族が来るまでは一人で検診に来た私に伝えたなかった先生の配慮がありがたくもあり午後に病院に行けばなんとかなる、と数時間私を期待させたことに苛立ちを感じた。すぐ入院して処置をしてもいいけど、一日家でお腹の赤ちゃんと主人と一緒に過ごしてもいいと言われたので翌日入院した。入院後、ラミナリアを挿入。ものすごく痛かった。翌朝、再挿入の為診察。すでに3センチ開き、前日のものは抜け落ちていたらしい。そのまま陣痛。夕方出産。怖くて赤ちゃんに会えなかった。看護士さんに性別だけ聞いたら、ちっちゃいのが付いてたよ、って教えてくれた。その日から泣き暮らした。私は赤ちゃんが産めない体質なのか、4度目も失敗してもう立ち直れなかった。赤ちゃんの為にならないことはすべて排除していたつもりだった。悲しくてもちろん出勤はできない、毎夜深酒、吸ったことのないタバコ、体に悪いこと全部してやれ、という気になっていた。どうせ私のお腹では子供は育ってくれない、私の体なんて要らない、死んでしまいたい・・・妊婦さんを見ると涙が出て止まらなかった。
先生は言った。あなたのせいじゃない、稀だけど同じ方向にばっかり赤ちゃんが回ってしまって臍の緒が捩れてしまうことがあるって。今の医学ではまだ原因が解明されていないから治療のしようがないんだって。赤ちゃんは苦しかったかな?って聞いたら、このころの赤ちゃんはまだ痛みや苦しみを感じないから安らかに眠ったよって教えてくれた。でもあの日の激しい胎動は、、ママ、苦しいよ・・・って教えてくれたんだろうな。救ってあげられなくてごめんね。ママの心にはあなたはずっと住んでいるから、いつも元気をくれるから。
可愛いあなたを抱いてあげられなかった弱虫ママだけど、誰よりも思っているから。一人じゃないよ。