2000年8月.30日(26週)
出産予定日12月2日
2002/4/17 妊娠発覚! 私にとっては第三子だが 再婚した主人にとっては初めての子供・・・ |
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5/12 夕方 少量だが出血・・・ 診察の結果 流産の可能性があるので 自宅で安静にとのこと張り止めの薬をもらって帰宅 |
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5/16 赤ちゃんの様子を診てもらうため病院へ・・・ 落ち着いているとのこなのでホッとする |
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8/28 夜遅くに出血・・・ 翌朝早くから仕事の主人を起こすのはかわいそうだと思い 近くに住んでいる母に 病院へ連れて行ってもらうことに・・・看護婦さんが 一生懸命 赤ちゃんの心音をさがしてくれているがみつからない。頭の中が嫌な予感でいっぱいになる・・・「先生にエコーで確認してもらおうね」 看護婦さんが 急いで先生を呼びに行ってくれたのですが・・・「亡くなってますね・・・」 先生に そう告げられても 「はい・・・」 としか返事ができなかった。自分のことなのに 他人のことのような気がして ただ ボーっと 画面に写し出されている動かなくなってしまった赤ちゃんの姿をみていました・・・ 母が診察室に呼ばれ 先生から 赤ちゃんが亡くなっている事を告げられ「どうしたら 助かりますか?」という母の質問に 「お母さん もう駄目なんだって・・・」 と冷静に答えている自分がいた。 母にではなく 私は自分自身にそう言い聞かせていたのかもしれない・・・ 先生と看護婦さんがいろいろと説明してくれているが 何も頭にはいらない。 部屋の準備が出来るまで 待合室で待つことに・・・ 主人に連絡しなきゃ・・・ 自宅に電話をすると娘がでた。 主人にかわってもらい赤ちゃんが亡くなっていること ・ 入院すること ・ 母が荷物を取りに戻っていること何をどう説明したのか覚えていませんが 受話器の向こうから聞こえる主人と娘の泣き声だけは 今でも覚えています。 |
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8/29 子宮口を開くための処置をしてもらう.。 出産は明日になるとのこと・・・赤ちゃんが亡くなった理由も まだわからなかった。人がいるときは 泣いてはいけないような気がして泣けなかった。 一人の時や 主人と二人きりの時には 涙があふれてきてしまいどうすることもできなかった。 |
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8/30 子宮口が開いてきたので 朝から 分娩室へ・・・ 陣痛促進剤の点滴を打つことに・・・薬の副作用で 40度近い熱がでてしまう。 陣痛と発熱による寒気に関節痛、 隣の分娩室から元気な赤ちゃんの産声が聞こえた・・・どれだけ泣いても涙はとまらない次から次へとあふれてきてしまう・・・ 何をどう頑張ればいいのだろう・・どんなに頑張っても 赤ちゃんが産声をあげてくれることはないのだから・・・ 午後4時20分 身長36センチ 体重660g 小さな小さな女の子 蓮葉(れんよう)が産まれました。 「臍の緒が細くて栄養がいきとどかなかったんだね」 と 蓮葉と臍の緒を見せてくれました。 私が 蓮葉の姿をみたのは このときだけでした。 |
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2002/8/31 主人と娘と母が 蓮葉を迎えにきました。母に 「最後だから・・・」 と言われましたが 蓮葉が入っている小さな薬の空き箱のふたを開けて 抱いてあげることも お別れをいうことも出来ませんでした。 ( 抱いてあげていれば もっとちゃんと蓮葉の顔を見てあげていればと 今でも後悔しています) 蓮葉がいなくなってしまったのに お乳が張っておっぱいがでてくる。 張り止めの薬はどうしても飲めなかった・・・ 飲んではいけないような気がした。 |
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9/1 今日は蓮葉の火葬の日です。 熱が下がらない私は 病院のベッドの上で 窓から見える空をずっとながめていました。「ありがとう・・・」 気のせいなのでしょうが 女の子の声が聞こえました・・・ 蓮葉がお別れを言いに来てくれたのでしょうか・・・どんなに泣いても とまることのない涙・・・ |
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その後 退院してからの 記憶はあまりありません。 夜 布団に入ると 涙があふれてきて布団の中か 蓮葉のお骨の前で 泣いてばかりいました。蓮葉が亡くなっていると聞いたときから 食べることができなくなっていた食事も いつからか少しずつ食べられるようになり 涙を流すことも少なくなりました。 ただ2年経った今でも小さな子供を見ると蓮葉のことを思います。 |