平成17年8月23日 20:29 
38週4日  原因不明 

平成17年8月23日私の大切な赤ちゃんは天使になりました。
天使ちゃんの名前は、理央くんと名づけました。
誕生した日が命日となり、戸籍にも載らず、書類には名前ではなく死産児となってしまう現実を前にし、私も理央が生きた証を残したいと思いました。
理央がお腹に宿ったと知ったのは、前の年のクリスマスの頃。うれしかった。どんなクリスマスプレゼントよりもうれしかった。その後、切迫流産、絨毛膜下血腫にて2度の出血、入院となったが頑張ってくれたよね。少しずつ確実に大きくなってくれたね。お腹の中で時には夜も眠れないくらいに元気に動いていたね。胎動を感じるのは、幸せだった。早く会いたいっていつも思ってた。 今回の出産は無痛分娩の予定だった。無痛分娩はある程度の計画分娩が可能だった。
8月11日
37週に入り予測体重も2900グラムまで成長したエコーの中での理央をみて「もういつ産んでも大丈夫そうだね。でも、お盆だから忙しいよね」と、医師に言われた。祖父の3回忌も控えていたため「そうですね」と答えてしまった。もし、あの時産んでいたら・・・結果は違っていたのだろうか。
8月22日
以前からこの週に分娩するのがベストでは、と言われていたのでワクワクして受診した。いつものように、まずは助産師により心音の確認。いつもなら探さなくてもすぐにトクトクと聞こえるはずだが、お腹のあちこちを探しても何も聞こえない。それでも、一人浮かれていた私は機械の故障かな、位にしか思わなかった。すぐに医師によりエコー。いつもニコニコしている先生の顔が、エコーを見たとたんに怖い顔になった。
「赤ちゃん、お腹の中で動いている?」と聞かれた。初めて、今日は胎動を感じていないことに気づき、初めてお腹の中で起こっている事に気がついた。それでも、確かに前の夜、寝る前までは元気に動いていた。今になって思えば、夜中に息苦しく動悸がして目が覚めたことがあった。・・・その時だったのかな、と思う。理央からのサインだったのかもしれない。気づかなかった・・気づいてあげられなかった・・ そして、医師から
「残念ですが、心臓が動いていません。ここまで問題なく大きく育っていたので理由はわかりません。大きな病院で診てもらってください」と紹介状を渡された。
その後のことはあまり覚えていません。悪い夢をみているような、ボーっとした感じだった。
8月23日
この日のことは、一生忘れることはないと思う。こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。総合病院での診察。紹介状を見た医師はそのままカルテへ子宮内胎児死亡と書いた。心音は確認してくれなかった。そのまま入院。病棟で担当医が紹介され、エコーで確認してくれた。もしかしたら・・・という思いはすぐに砕かれた。結果は変わらなかった。いつもは、小さくても元気よくピョコピョコ動いていた心臓は動いていなかった・・・それでも信じられなかった、信じたくなかった。
「このまま長くお腹にいると母体側にも影響が出るので、早く出てこられるように子宮の入り口を広げる処置をする」と説明された。
産みたくなかった。お腹にいる限り繋がっていられると思った。どうして赤ちゃんを助ける方法を考えてくれないのって腹がたった。結局、内診にて3センチ開いていることがわかり、その処置は不要と判断された。気にする余裕がなかったのだが前夜から周期的に腹痛があった。
明日には出てくるかな、との医師の予想。父、母、上の子が付き添ってくれていたが帰ってもらった。一人になりたかった。けれど、一人になった途端に急にこれからどうなるのか不安になり怖くなった。気持ちがついていってない中で、現実は進んでいく。逃げ出したかった。陣痛の間隔はどんどん短くなり、痛みも強くなる。まだ産みたくないのに・・・痛みと不安で初めて涙がでた。私は何に向かって頑張ればいいんだろう、乗り切ったところで何があるんだろうって思った。それでも、待ってくれない。理央は早く出てきたかったんだよね。分娩室へ移動。普通なら、心音や陣痛の間隔を測る機械がつけられるだろう。けれど、私にはそれはない。その機械は隅のほうへ置いてあった。悲しかった。その日は、同時進行でほかの分娩が2件あった。時々、声をかけにきてくれたが「大丈夫です」と答えるしかなかった。
そして、20:29静かに静かに理央は生まれた。おめでとうの言葉のない誕生。自分の力だけで出てきた理央は3280グラムの男の子。あったかくて、やわらかくて、小さくて、誰よりもかわいかった。本当に眠っているだけのようだった。その顔を見ていると幸せな気持ちになった。愛おしかった。やっと会えたね。
火葬までの2日間ずっと一緒にいた。だんだん冷たくなっていく理央に触れるたびに現実に戻されてしまうが、かわいい寝顔を見るたびに幸せだった。手を繋いで寝たね。小さな小さな手は繋いでいたことにより温かくなったね。「もう起きていいよ」って何度も起こしたんだけど・・・かわいいやわらかいほっぺ。たくさんチュウしちゃったね。理央のファーストキスはママが奪ちゃったね。
あっという間に火葬の日がきちゃったね。一人で逝かせたくなかった。もっと沢山抱っこしたかった。声が聞きたかった。笑顔がみたかった。明るい光を見せてあげられなくてごめんね。楽しいこと、おいしいもの何一つ教えれあげられなくてごめんね。ママのところに来てくれてありがとう。理央はいつまでも大切な私たちの子です。
・・結局こうなった原因はわかりませんでした。
唯一の救いは「羊水もきれいで、胎便もでていないことから一瞬のことだったのでは」苦しまなかったのではないかと言う言葉でした。
49日に納骨
先日、49日を迎え納骨に踏み切りました。寂しくないようにと、小さな骨壷にアンパンマンの小さなおもちゃをいれました。困ったことがあったらアンパンマンが助けてくれるよ。お腹がすいたらアンパンマンの顔をもらってね。楽しく遊んでね。
あの日からあっという間に約2ヶ月。他人から見れば普通に生活しているように見えるかもしれません。それでも、寂しくてやりきれない思いに押しつぶされそうになります。目を閉じると、死を宣告されたあの場面、エコーの画面が浮かんで怖くなる時があります。あの時の体験は本当に私だったのだろうか、と現実逃避してしまうこともあります。それでも、明日はきてしまう。少しずつ前に進まねば、とやっと思えるようになってきたところです。