2002年5月12日 22週
双胎・前期破水による早産
<妊娠が判った時> 1月10日、 検査薬で陽性。生理予定日頃だったので、胎嚢すら確認できなかった。排卵障害があったので、「まさか」と思ったけれど、嬉しかった。この時すでに、男の子なんじゃないかなー、と思っていた。 |
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<妊娠初期> つわりもほとんどなく、お腹に赤ちゃんがいるのだと信じられなくて、尿検査→胎嚢の確認→心拍の確認と順を追ってエコーを見るのが楽しみだった。1月の末に出産した友達と、子供のことを話して盛り上がっていた。 |
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(7W〜9W) 2月6日から高熱が出て、7日に出血する。実家に帰っていたので、診察開始を待って近くの病院に行った。高熱のための切迫流産だった。そこで初めて双子で、二人の大きさが違う、と言われる。 高熱や切迫流産よりも大きさの違いに問題があるらしかった。近くの総合病院を紹介され、次の日に受診することになる。 |
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(10W〜15W) 心配していた出血もその後は問題なく、二人とも順調に育っていた。体が小さい私は、二人分も抱えきれるのか不安だった。お腹は着実に大きくなっていた。大きくなるお腹は憂鬱だったけれど、育っている証拠だと思うと嬉しかった。手足をバタバタと動かす様子をエコーで見ては感動していた。 |
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<妊娠中期>(16W〜20W) お腹が大きくなるに連れ、少し動くだけで疲れるようになっていた。長時間歩いた時はお腹が痛むことが頻繁だった。初めての妊娠だったこともあり、こんなものなのだろうと思っていたけれど、この時もっと自重していれば良かったのかもしれない。私自身が1400gの未熟児だったこともあり、早く生まれてくるような予感があったので、未熟児で生まれた子供の資料を集めて読んだ。30Wは越してくれるように願っていた。 |
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5月7日(21W) 事情により曜日を変更したため初めての先生だった。4時間以上待たされ、説明は丁寧だったけれど、この先生は嫌だな、と思った。前の検診では頭位&横位だったけれど、頭位&頭位になっていた。 私の左側にいた子が男の子だと分かる。内診をしないことを不安に思ったが、大丈夫なのだろう、と不安を打ち消した。この時、お腹が頻繁に痛んだり張ったりすることを伝えるべきだったと、今でも後悔している。 |
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5月12日 14時頃突然破水した。その時すでに子宮口が3cm大開いていて、子供の手と頭に触れるとのことだった。ちょうど22週に入るところだったけれど、ほとんど助かる見込みがないこと、どの病院に行っても受け入れてはくれないだろうということなどの説明を受けた。 「助かるのなら、どんなことをしても助けて欲しい。けど、結局生きられないのなら、子供たちを苦しめたくない」そう思った。それでも、生きて欲しいから、陣痛を抑える点滴をし、導尿して絶対安静となった。けれど、結局陣痛は来てしまった。18時半、子宮口は6cmまで開き、もう抑えることは不可能らしかった。 23:48 第1子出生。25cm、355g 23:53 第2子出生。24cm、364g 摘出物を載せる銀のトレーで、二人は運ばれていった。 胎盤などが子宮内に残ってしまい、掃掻するために麻酔をかけられた。例え助からなくても、一度抱かせて欲しいと伝えてあったので、会わせてあげたいという旦那の言葉に、タオルのようなもので包まれた二人を見せられた。「あっても500g」と言われていた私は掌に乗るくらいの、犬や猫の赤ちゃんを想像していた。けれども私の上に載せられた子供は、遥かに大きく、重たかった。そしてとても暖かかった。麻酔でボーッとする頭と戦いながら、懸命に子供の顔に触れてみた。開くことのない目。泣くことのない口。まつげや爪までもが形作られ、頭には産毛が生えてくると思われる毛穴が無数に見つけられた。とてもきれいな男の子たちだった。 |
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私達は、ふたりに陸(りく)・海(かい)と名付けた。 もし次に子供に恵まれたなら、その子には「空」の字をつけよう、と決めて。 |