2004.7.23 21週6日
子宮頚管無力症・高位破水
 
2004.3.21
空輝(そら)が私のお腹にやってきた。このとき上の娘が1歳になったばかり。
生理が再開して4回目の出血だったけど、今回は出血の色が茶褐色の様な黒褐色のような・・・
生理予定日より1日早かったけど、検査薬をするとみるみるうちに陽性反応がでた。上の子と2つ離れの子が欲しかったし、とても嬉しかったけど出血が気になった。次の日に受診すると、まだ早すぎて胎嚢が見えていなかった。1週間後の受診となる。
3.29
胎嚢を確認1週間がとても長く感じた。とりあえず胎嚢が確認できたけど、「出血しているし、安静に自宅ですごしてください」と先生から言われた。自宅に帰り、旦那と相談し実家に帰って静養することにした。
実家静養実家にいる間もトイレに行く度出血していて、毎日が不安だった。早く次の受診日にならないかと・・・
娘は、私が悩んでいるなんてもちろん知らないから寝ている横で「外に行きたい」という素振りをして愚図っていた。実家の両親も働いてるため昼は結局自分で見なくてはいけない。そんな娘にイライラした事もあった。
4.12(7週と2日)
待ちに待った検診日。エコーを見ながら先生は「赤ちゃんが確認できてるよ。心臓もしっかり動いてるから大丈夫だよ。まだ少し出血してるけど、赤ちゃんには影響はないから安心してね。でも、無理な動きはさけてね」との事だった。その言葉に安心した。
その後5/10(11週と2日)・6/8(15週と2日)・7/6(19週と2日)の検診はすべて順調。
娘の時よりも早く16週で胎動を感じ、お腹を触って幸せを噛み締めていた。胎動が激しく、性別はまだ分からなかったけどぜったい男の子だって私は確信していた。娘もお腹を触り「たたちゃん(赤ちゃん)」と言えるようになって来た矢先・・・
7.21 なんとなく破水感があり旦那に伝える。娘の時も高位破水があったから、あまり酷かったら病院に行こうと気楽に考えていた。
7.22 運命の日の前日夜、いつもの如くまだ旦那が仕事で帰ってこなく、いつものように娘とシャワーを浴び、ご飯を食べた。本当にいつもと変わらない生活。トイレに行くと下着に血がついていた。でも、そこまで焦っていなくて直ぐに旦那と実家の母に電話し、病院にも電話した。ちょっとした破水感と出血してしまったこと伝える。病院から折り返し連絡が来る前に、旦那が帰宅。病院から「すぐ受診してください」と連絡があったので、娘を連れ3人で病院の向かった。車の中でも、そんなに酷いとは思っていなくて「また入院長くならなきゃーいいね」と笑いながら話をしていた。だって、お腹の中では元気に動いているから・・・
病院に着くと、車椅子で産婦人科の病棟の処置室に向かい、診察を受けた。先生から「旦那さんも一緒ですか?」と聞かれる。この時も、少し入院してもらうって言われるだけかな?と思っていた。でも先生の表情は固く「しっかり聞いてくださいね。あなたが電話で言ったとおり、破水をしています。これは高位破水です。でもそれだけではなく、すでに子宮口が3〜4cm開いていて、そこから羊水を包んでいる膜が出てきてしまって、手で触れるんです。この時期に子宮口が開いているのは子宮頚管無力症かもしれませんが原因は不明です。とても、つらいお話ですが、破水をしていなければ長期の入院で絶対安静でお腹の子を待たせることができますが、破水をしていると1週間持つかどうか・・・」とゆっくり丁寧に話をしてくれました。先生が何を言いたいのかも分かっていました。なんだか、テレビのワンシーンの様だった。
娘の時、高位破水で入院し36週ということもあって37週まで抗生物質の点滴を1週間してその内、促進剤を4日間やっても子宮口がほとんど開かず熱が少し出始めてしまって、帝王切開となってしまった経験があるから・・・いろんな不安がよぎった。とりあえず、今日はそのまま入院で明日の診察をしてまた診断するとの事。絶対安静でベッドから起きては行けないとの事。抗生物質の点滴も開始する。旦那が私の実家に電話して母に来てもらうよう伝えたり、入院の支度なんてしてなかったから家に帰りもってきてもらった。娘は実家に預かったもらいました。夜がとてもとても長く、ただただ泣くだけしか出来なくて・・・でも、はっきり「駄目です」って言われた分けでは無いし、空輝のために私が頑張らないと!!と決意した。
7.23 運命の日朝ご飯も空輝の為にちゃんと食べた。朝一番に処置室で診察。いつも定期健診の時に診てもらっている先生が診察してくれた。やっぱり、先生からも昨晩と同じ診断が・・・そして、昨日と違ったことは・・・決断をお昼までにしなくてはいけないことだった。すぐに旦那さんを呼んでくださいとのこと。改めて、旦那が病院に来てから先生の説明をうけた。「現在、お腹の子は21週と6日。いくら、お腹の中で持たせると言っても破水しているから長くはお腹の中に置いてはおけな。前回の出産のときも菌が入って感染症にかかっているから、感染しやすい体質かもしれない。明日の22週に入ってしまうと、法律上中絶は出来なくなってしまいます。母体が持つ限りお腹の中に居させなくてはいけない。でも今の週数から行くと、いくら頑張ってお腹の中で持たせたとしても助かる確率は0に等しい。もし、助けられても健康な子に育つことはまず無いでしょう。」との事だった。私は、そこまで早く決断しなきゃいけないだなんて思っても見なかった。ただ泣いて落ち込むしかできなかった私の変わりに、旦那は先生に色んなことを聞いてくれた。旦那は、このままお腹に持たせれば母体に感染症を引き起こすかもしれない事を恐れ、私の命を助けて欲しいと先生にお願いしてくれた。
旦那と2人きりで相談した。私は自分の体が持つ限るこの子を守らせて欲しいとお願いした。でも、私に万が一の事があったとき、娘はどうなるか問われた。私もそれは気がかりだった。「いくら空輝をある程度持たせることができても、生きてくれるか分からないんだよ。空輝には本当に申し訳ないけど、今生きている僕や娘の為にお母さん(私)の体を守らせて欲しい」と旦那がいう。旦那の言ってることもよく分かるし、自分自身本当によく分かってる。ただそれを認めたくなかった。でも、決断しなきゃーいけない時間も刻々と近づいていた。結局、中絶を決断するしかなかった。すると、直ぐに中絶をするにあたっての用紙等が持ってこられ、旦那が全て書いてくれた。全てが終わると、旦那が直ぐに私の実家にいき娘を迎えに行ってくれた。その間に、私は処置室に呼ばれ中絶用の陣痛促進剤の座薬を入れてもらった。病室に戻り陣痛が来るのを待った。待ってる間、色んなことが思い出された。そして色んな事に後悔した。そしてこれが正しかったの・・・
そんな間もお腹の中で空輝は元気に動いている。お腹をさすりながら「空輝を守れなくてごめんね」と泣くしかなかった。幸せな陣痛ならいいいのに・・・悲しい陣痛なんて待ちたくない・・・そんな事を考えていると徐々に陣痛が押し寄せてきた。5分間隔とかそんなんではない・・・常に痛くて・・・どれくらい我慢しただろうか、絶えられなくなり看護婦さんを呼んでもらい処置室へ行った。それからも直ぐに空輝に会えるかと思っていたけど・・・なかなか空輝が下がってこない。ママのお腹の中にいたいんだな〜って悲しくなった。ママだって、500gもない空輝をこの世界に出したくないけど、本当にごめんね!って思いながら陣痛に耐え、助産婦さんの指示に従った。ちょっといきんだ瞬間、破水してしまって陣痛もとまってしまった。一旦、病室に戻り点滴の中に促進剤を入れてくれた。陣痛が直ぐに起きてきて再度処置室へ。今度は処置室で旦那が付き添ってくれた。ただそばにいてくれるだけで心強かった。そして旦那は黙って私のわがままを聞いてくれて。旦那も辛かったと思う。そこで1時間位しただろうか・・・空輝の頭がはまった感じ思え、旦那に看護婦さんを呼んでもらう。今まで定期健診で診てもらっていた先生も来てくれて、とても安心しました。これからは旦那は立ち会えないため外で待っていてくれた。
7.23(21週と6日) 450g 第2子男児を出生(長男)
私は直ぐに「生きてますか?男の子ですか?」と聞いた。先生が「男の子だよ。でも残念ながら・・・」と。「子供に会わせてくれますか?」とお願いすると、「まだ、お母さんの処置が済んでいないから綺麗にしてから病室に連れて行きますよ」と言ってくれた。どんな姿でもいい、6ヵ月という短い間だったけど私のお腹の中にいてくれた息子に会いたかった。
私は悲しみに浸る暇が無かった。胎盤が出てこなくて先生と助産婦さんとかきだしたりお腹をグリグリ押されたりと、想像以上の痛みに私は泣き叫んだ。これでもまだ私を苦しめるの?と思ったくらい。全ての処置が終わり病室へ戻ると、母と旦那、そしていつもと変わらない元気な姿の娘が迎えてくれた。もう、何度悔やんでも悔やみきれない・・・後悔しても空輝は帰ってこない。泣いて泣いて泣き続けた。1歳4ヵ月の娘は黙って頭を撫でてくれた。それだけで私の心は癒えた。
助産婦さんが空輝をつれて来てくれた。旦那は連れてきてくれる事を知らなかったから、ビックリしていた。心の準備も無かったもんね。でも、母・旦那・娘、そして私の4人で息子の姿を目に焼き付けた。
450gという息子はとても安らかに寝ているようだった。とても綺麗で、男らしい顔立ち・指もちゃんと5本あって、爪も生えている。そしておちんちんもしっかりとついていた。本当にただプックリさが無いだけの、しっかりした赤ちゃんだった。私はもっともっと違う想像をしていた。こんなにしっかりした姿になっているとは思わなかった。すると、娘が箱の中の弟をみて「たたちゃん」と言った。また涙が溢れ出てきた。息子にも謝らなくてはいけないけど、娘にも誤らなくては・・・弟の命を奪ってしまったことを。その後旦那は助産婦さんと市役所に出す死産届けや火葬についてのことなどの話を受けていた。私はそんな旦那の姿をぼーと見ることしかできず。空輝もこの暑い中そう長くはそのままの姿でいるわけには行かなく、火葬の許可を取りに旦那は市役所に向かった。娘も母と帰らなくてはならない。また、病室で一人になった。やっぱり泣くしかできず。夢ではないかと思いたいけど、お腹を触れるとぺっちゃんこ。
本当お昼までこの体で胎動を感じていたのに・・・私が何をしたんだろう。2週間前の検診では異常は無かった・・・今までの生活を振り返って、娘を抱いていたのがいけなかったのか?太らないようにと娘と散歩がてら買い物していたのがいけなかったのか?ドライブに行ったのが悪かったのか?全ての行動がいけなかったように思えてしかたがなかった。
すると旦那からメールが「なんだかポッカリ穴が開いちゃった感じ。気が抜けて・・・」と。旦那は男の子が欲しいって言っていたから、旦那からも待望の長男である息子を取り上げちゃったんだと本当に自分を責め続けた。責めても息子は戻ってこないのに・・・
週明けに私は子宮内容洗浄術があるため6日間の入院となった。入院中はずっと旦那が寝泊りしくれた。一人きりなるのが怖かったから。夜中、私は寝れ無いこともあってナースステーションに行くと1時間位だったけど私の話しを真剣に聞いてくれてとても嬉しかった。
空輝(そら)という名前は、入院中に旦那と2人で一生懸命考えた。空でずっと輝き、そして私たち家族を見守ってくれますようにと願いを込めて・・・
7.27 退院・火葬・お寺でお経をあげた。病院で空輝が入れられている箱に手紙とお花、そしてたら着てもらう予定だった産着を一緒に入れた。火葬場で最後のお別れをした。でも、お別れとは思わない。
いつでもどこに行っても4人一緒だから。火葬は30分ほどで済み、変わり果て空輝の姿をみた。あんなに小さい子でもしっかり骨が残っていてくれた。小さい骨壷に納められ静かに蓋が閉められた。その後、お寺へ行き、お経をあげてもらい、空輝に戒名をいただきました。
現在の心境 まだ、誕生死してから日が浅いため気持ちも浮き沈みが激しいです。でも娘も1歳半とヤンチャ盛り。外にも出て行きたいだろうし家の中にずーといる訳にもいきません。昼間は娘の笑顔と元気に励まされ何とか1日1日を過ごしている状態です。私と旦那はいつも言ってます。「空輝は戸籍に残らなくても立派な我が家の長男。
本当に親孝行の長男。4人家族だ!」と。いつか近いうちに空輝が帰ってくることを楽しみに待っています。