元気な泣き声で、陣痛4時間で生まれてくれた嵩琉は羊水を飲んでちょっと呼吸が苦しそう・・と保育器に入り午後には総合病院へ転院になりました。
でも、絶対大丈夫だと信じてました先生も命は大丈夫と言ってました
外出して初めての面会のときは嬉しくてカメラ持参で逢いに行きました おっぱいは何時から飲めるのか?そんな事を考えて行ったら「一級品の病気です」「写真は元気になってから」と言われました。
何故?どうして??大丈夫だって言ってたのに・・医師の説明も何を言ってるの??と分からないことでいっぱいでした
その夜は眠れなくて、でも悪いことは考えないでいました
朝4時ごろ嵩琉の顔がまぶたの裏に現れて・・
そして朝主人が総合病院に行くからと迎えに来ました。
私が着いたときは少しもち直していましたが朝4時ごろ状態が急変したと言われました
入院していた病院に戻って11時ごろ再び総合病院から連絡があり向かうと別室に案内されました。
そこで嵩琉の命の期限を宣告されました。NICUで初めて嵩琉を抱っこし、頑張って、頑張ったね、嫌だよ、辛かったね・・
励ましたり労ったり嵩琉は両手両足から薬を入れてました。
手も足もパンパンで凄く頑張ってくれてもう薬も入らないぐらいなのにいっぱい生きようとしてくれてたんだと思います。
その数時間後私の腕の中でお空に行ってしまいました。
私がたけの声を聞いたのは生まれたときと入院していた病院から転院するときに今まで眠っていたのに泣いてくれた2回だけでした。
もっともっと聞きたかった。もっともっと抱っこしたかった。たけは予定日より6日早く生まれました
きっと生きてママに会うために早く生まれてくれたのかな
いつかママがたけに逢いに行くから、それまでいい子でねんねしててね。たけに逢いたいよ 大好きですパパとママの赤ちゃんとして生まれてくれてありがとうね
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