27週 2003.8.18 にゅうび胸水による胎児水腫・肺低形成 |
結婚して数ヶ月目に授かり予定外のことで驚いたが、うれしかった。 順調に妊娠初期を過ごしました。 |
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妊娠5ヶ月 片側のにゅうび胸水と診断される。その後大きな病院に転院し、羊水検査・血液検査等するが原因がわからないまま経過をみることに。 |
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6ヶ月目 胸水が少なくなり、このままいけば元気に産まれる可能性が高いと言われ安心する。 |
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急に容態が悪化。赤ちゃんの全身にむくみ、胸水も両側に見られるようになり入院を勧められ、先生に覚悟するように言われる。当時主人の仕事の関係で四国に住んでいて、頼りにできるのは夫婦2人だけ。入院が長期になることもあると言われたのと、先生に対して不信感があり実家近くの東京の病院に転院を決める。その日のうちに実家に帰り、次の日に病院へ行くが即日入院。 でも先生に「赤ちゃんが一番いい時に出してあげましょうと」っと言ってもらい 転院してよかったと安心した。28週を目標に順調に育ってくれることを祈った。 |
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前入院して二週間後の28週目前に、心音確認時に心音が微弱になり、緊急帝王切開。うぶ声も上げないまま保育器に入れられ、連れていかれる。 私の処置が全て終わった時、助産婦さんに「赤ちゃんがんばっているんだけど、最後お母さんの胸に抱かさせてあげて」と言われ、27週だというのに3100gもあった娘と初対面。もっとむくみがあるかと覚悟していたけど、かわいい女の子でした。 「ごめんね」っと言っておでこにキスするのが精一杯でした。心音機が「ピー」っと鳴り1人で天国に逝ってしまいました。 出産から死んでしまうまであまりにあっけなく、ただただ何が起きたのがよくわからなかった。その後すぐに子供を処置してくれた先生方に「ありがとうございました」っと言いいながら、しっかりしなきゃいけないと思う自分が後でなさけなかった。主人はその日に来てくれ赤ちゃんを抱いてくれました。生きている時に抱かせてあげたかった。 名前は 海美(うみ) と名づけました。 主人の出身地が瀬戸内海の島で、自分が育った身近な自然を子供の名前にしたのかなと思います。今は穏やかな瀬戸内海を見渡せるお墓でひーじいちゃん達に抱かれていると思います。声が聞きたかった、もっと抱いていたかった、なんで肺がもっと育たなかったのか、なんでうちの子なんだろう。子供を亡くしてからいろいろ考えました。でもどの疑問にも願いにも答えがありません。 |
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一周忌を迎え その疑問も答えも海(海美)が今やさしく包んで私の中で受け入れられてきた様な気がします。 |