2001年11月20日:出産予定日
     7月24日: 23週0日 (第2子)
臍帯過捻転
 

3月
2人目不妊を疑い始めたころ、待望の妊娠。男の子かな?女の子かな?とても楽しみだった。下旬頃より妊娠悪阻のため、仕事ができなくなり休職。実家の父に毎日病院まで送り迎えしてもらい点滴を受けた。5月上旬まで約6週間、ほぼ毎日通院した。
6月
つわりも少し落ち着き、職場復帰したが切迫流産なり再び休職。それでも元気な胎動を感じながら生まれてくる日を心待ちにしていた。
7月6日
妊娠6ヶ月目の検診。なんとも言えない不安があったが、エコーで見た優人の心臓は動いていたので少し安心した。優人は眠っているのか体を動かす様子はなかった。優人の心臓が動いているのを見るのはこの日が最後となった。
7月
日にちははっきりしないが夜中、熟睡している私が目を覚ますくらいの激しい胎動があった。その胎動を最後に優人の動くのを感じられることはなかった。
7月18日
優人の死を確かめるのが怖くてなかなか病院に行けずにいたが、勇気を出して点滴に通っていた病院を受診
エコーで見た優人の心臓はやっぱり動いていなかった。ぐったりしているのがわかった。翌日いつも通っている病院を受診することになる。
7月19日
いつも通っている病院を受診。入院になると思っていたが祝日をはさむため処置ができないと、休日明けの23日に入院することになる。入院まで日にちがあり、家で1人でいるのも落ち着かず、インターネットで「死産」を検索。たくさんのHPがあり、同じような経験をした人の話を1日中読んでいた。
7月23日
入院。外来で子宮口を広げるためのラミセルを入れる。1本だけだがとても痛かった。車椅子で病室へ2人部屋の個室に入れてくれた。隣にはまだ誰もいなかった。
午後になりラミセルの入れ替えをする。今度は13本。痛くて冷や汗が出た。辛くて、悲しくて、悔しくて、病室に帰って声をあげて泣いた。お腹の痛みはがまんできないほどではなかったが、翌日の出産に備えて少しでも眠っておきたかったので坐薬を入れてもらった。
7月24日
順調に行けば今日中に生まれる。朝一番でラミセルを抜く。子宮口がいい大きさまで開いていたので再挿入は避けられた。ずっと考えていたが硬膜外麻酔をお願いすることにした。腰から管を通し、薬液を入れる。背中がキュッと冷たくなるのを感じた。そしてメトロという風船のようなものを子宮口から入れる。本来なら赤ちゃんの頭が子宮口を刺激してどんどん開いてくるがなくなってしまっている赤ちゃんにはそれができないため、代わりにメトロで刺激するという説明。陣痛誘発剤を2回使ったところでメトロ娩出。続いて羊膜に包まれたままの優人が生まれた
2001年7月24日 12時42分 身長25p・体重360g 妊娠23週0日にて第2子:優人死産 死因:臍帯過捻転
臍の緒がたくさん捻じれていて、特に優人のお臍のすぐ近くでキュッと細くしまっているところがあった。最後の胎動を思い出し、とても切なくなった。きっとあの時血流が途絶えてしまって苦しかったんだね・・・
優人は主人と長男そっくりでとても可愛かった。お腹の中で死んでしまってから日にちが経っていたので頭蓋骨は変形してしまっていたが、そんなことは気にならなかった。愛しくて愛しくて仕方がなかった。

夜、優人に逢いたくてたまらなくなり夜勤の助産師さんにお願いして逢わせてもらった。とても安らかな顔だった。子守唄をうたったり、いろいろな話をしたりして過ごした。短い時間だったけど貴重な思い出。新生児室が近く赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるのがたまらなく辛かった。薬を飲んでいても張ってくる胸。氷枕を抱いて過ごした。
7月26日
退院。火葬。自宅には30分くらいしかいられなかったが、一度家に連れて帰れてよかったと思う。今、思えば一晩くらいは
一緒にいればよかった。このとき写真を撮っておけばよかったと後悔している。
斎場ではお骨を残るように焼くからと、棺から優人を出し台の上に直接寝かせた。お骨は思いのほかたくさん残っていた。小さなお骨も見逃さず斎場の方が集めて骨壷に入れてくれた。お骨は手元に置いてあり、いつか私がこの世を去るとき、いっしょにどこかにまいてもらえたら・・・と思っている。
その後1ヶ月は家にこもっていたが、長男の保育園の送り迎えもあり1ヶ月検診後から少しづつ外に出るようになった。保育園に行けば、同じ頃出産予定だったお母さんのお腹を見なければならないので辛かった。赤ちゃんを連れてくる人もいた。周りの人の何気ない言葉、励ましの言葉で傷付くことも多く、外に出るのが辛かった。当分は毎日泣き暮らしていた。失ったものは大きく泣いても泣いてもまだ足りなかった。
インターネットで同じ経験をした人と話せることが、とても心強かった。1人じゃないんだと思えた。
10ヶ月経った今も時々涙が出てしまうことはあるが、少しづつ悲しみと付き合うのはうまくなってきているかもしれない。