21週2005.4.4 
子宮頚管無力症  
 
2004年12月
妊娠判定薬で陽性。トイレでパニック。次の日に総合病院で診察を受ける。このとき5週目。子宮頚管ポリープにより出血が続き、年末実家で大量出血。年明け病院に行きポリープの除去手術が決定。
1月20日
手術。次の日から出血が治まる。翌21日 母子手帳をもらいに行く。
2月8日
夜 熱が出る。翌9日 病院へ行き薬をもらう。(このとき診察に2時間以上待たされた。)咳が治まらず出血もしてきた。
18日
吐き気が止まらず病院に相談したところ診察してくれるとのこと。診察の結果「切迫流産」で入院。胎盤が下がってると言われた。
24日
エコーで診察。子宮口が開いてると言われその日に手術。寝たきり状態に。その後出血が治まることなく、ただ子宮口は閉じてきていると先生に言われた。
3月31日
主人が先生に呼ばれ同室の人が部屋移動になった。30分後 主人と先生が来て「破水していて赤ちゃんが危ない」と言われた。このとき21週1日。先生には21週のうちに流産にするかこのまま持つところまで行くかの決断を迫られる。
4月2日
なかなか決断がつかないままエコー検査。羊水がほとんどなく赤ちゃんの「肺がつぶれて呼吸が苦しいだろう」ということで流産を決意。その日 子宮口を縛っていた糸を切り、子宮口を開きやすくする器具を入れる。翌3日 さらに器具を追加。
4日
午前8時、陣痛誘発剤をいれる。徐々に陣痛が来て分娩台へ。
午後13時49分 女の子を出産(死産) 265gでした。
生まれた子は見せられずそのまま産褥熱で少し横になり、夕方 実家から母がやってきた頃自分の希望で赤ちゃんと対面。とても小さい赤ちゃんは あたしの子とは思えないくらいかわいかった。名前を「桜」と名づけ6日空に見送りました。