平成14年 6月10日 29週5日 帝王切開にて出産
6月15日 pm:5:00 第一子 男児
死因:胎児水腫による合併症 ・遷延性肺高血圧症
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6月5日 8ヶ月検診 「異常と決まったわけではないが、少し気になるので大きな病院へ行って欲しい」と言われ、どういう意味か理解できず不安になる。
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6月10日 紹介された病院受診「胎児水腫で全身・脳にも水がたまっています。今すぐ帝王切開しなければいけません。」と言われ、夕方からの手術が決まる。 診察室を出るとき、Dr.から「ひょっとしたらダメかもしれないことを頭の隅に置いといてね。」と言われ、悲しい現実に直面していることに気づかされた。術後はほとんど眠っていたが、赤ちゃんがNICUで処置中であることは確認した。 |
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6月11日 誕生1日目 術後に続いて二回目の面会から帰った夫から、「2400gの体重が水を抜いたら1200gまで減り、レントゲンで診て肺はきれいになっている」と聞き、少しホッとし「何とかなるかも!」と思った。 |
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6月13日 初めて面会
正直、会える喜びよりも「どんな小さいのか。」とドキドキして怖かった。保育器の赤ちゃんは眼にテープを貼られ、チューブだらけの姿が痛々しく「ごめんね、がんばってね。」としか言えなかった。この日、Dr.から徐々に肺の状態が悪くなっていることを告げられ、「やっぱりダメかも・・・。」と思うと同時に、「早く名前を決めてあげないと。」と少し死を受け入れようとする自分と、ベッドで泣きながら「がんばって!!」と祈る自分が交互に存在していた。
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6月14日 次の難関
面会の時間が来た。更に悪くなっていたらと考えると怖くて怖くて「祐希」とつけた名前を呼んであげられるうれしさなどなかった。やはり私の予想は的中した。Dr.から「肺は少しよくなってますが、今度は腎臓が悪化してます。この子にはもう、腹膜透析しか方法がありません。」と告げられた。続いて「しかし、透析の準備段階で死んでしまうことも、またその後感染症を併発してしまう可能性もありますが同意してもらえますか?」と聞かれ、私たちは「ハイ」と答えるしかなかった。それは祐希の「死」を覚悟した瞬間でもあった。「お願い、頑張ってね」と声をかけ、NICUを後にした
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6月15日 お別れ
深夜、透析の準備は成功し治療が始まっていることを聞いていた私は、「今どんな状況なんだろう・・・。」と思いながら、ナースステーションの電話が鳴らないことだけを祈った。夕方、電話の音がした後、車椅子を持って看護師さんが私の部屋へ来た。「ついに来た。」なぜか冷静な私がいた。夫と二人、「最期ちゃんと看取ってあげようね。」そんなことを話ながら歩いて向かったような気がする・・・・・。
保育器から出された祐希は眼のテープも取られ「こんな顔してたの・・。」と話しながら二人で抱いてあげた。初めて母を実感した瞬間でもあった。
最期は「ごめんね。もういいよ。よく頑張ったね。」この言葉しか言えなかった・・・・。
pm:5:00 祐希は天使に生まれ変わった。
『祐希、一生懸命頑張ってくれてありがとう。いつまでも大切な私の子供です。』
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