2002年4月12日出産(39週5日) 4月16日新生児死 死因) 三尖弁閉鎖・大動脈縮窄症・完全大血管転位症 他 |
2001.8 不妊で婦人科に通っていたが、念願の妊娠。市販の検査薬で確認。主人は「信じられない」と言いながらも、嬉しそうにしていた。後日産婦人科受診。担当医ですら「何できたんだろう?」と言っていた。今までの辛い検査や生理痛の痛みもいっぺんに吹き飛んでしまった。本当に嬉しい!予定日は4月14日。待ち遠しい。 |
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2002 1.30(29週目) 妊婦検診で男の子とわかった。今まで何事もなく順調に大きくなっている。ただ、お腹の張りがひどいので、仕事を控えるように言われた。産休まで2週間あまり。引継ぎのことなど考えて診断書は出さないでもらい、自分の判断で無理のない程度で仕事をすることにした。 |
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4.3 検診で心臓のリズムが乱れていると言われた。確かに他の母親たちから聞こえてくるものとは違っていた。 先週、37週目で初めて心音を聞いたが、いつもの「しゃっくり」と重なってしまい、うまく聞けなかった。心雑音については妊娠中よくある事らしく、「大丈夫」と言われ一安心。 |
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4 .10(水)(39週目) やはり心音に不整あり。助産師も心配して「先生に診てもらおうね。大きい病院に行くことも考えたほうがいいし」と言われた。しかし、医師は「先週調べたから大丈夫でしょう」と詳しくは診てくれなかった。 この時「ちゃんと調べてください」とどうして言わなかったんだろう。今になって、後悔だけが残っている。 |
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4. 12(金) 予定日を2日後にむかえ、陣痛が始まった。AM5:45 破水したため産婦人科に入院。陣痛室で心音を聞くがやはり心音がおかしい。付き添っていた母も不安を覚え、何度も助産師に「大丈夫なのか?」と尋ねている。でもここまできたら産むしかない。 PM1:58自然分娩で無事出産。すぐに産声を上げ、手足をバタつかせている。 身長48.5cm・体重3220g。元気な男の子。 お昼過ぎにパパも駆け付けていて、祐真と対面。最初の1時間は酸素をおくっていたため触ることができなかったが、後の1時間で祐真はパパに抱っこしてもらえた。初乳も済ませた。しかし、心臓には不整脈があると言うことで、心電図をとり、夕方には保育器に入ってしまった。 |
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4. 13(土) 小児科医の受診日で新生児室に呼ばれた。心臓の不整脈、左の顔面神経の麻痺。おしっこの量も少ないらしい。 昨日から気になっていたが、泣くと顔が歪んでしまうのだ。それも心臓からきているという。きちんと調べるために、小児科に転院が必要と言われた。看護師の気遣いで2人部屋から1人部屋に移動することができた。母子同室の産科なので個室に移れて、正直ほっとした。 |
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4. 14(日) 祐真は一日中保育器の中。泣いていても他の子たちのように抱いてやることすらできない。祐真が泣いているのに何もしてあげられない。祐真ごめんね・・・。転院について看護師に聞いたところ、「今日は日曜だから明日になるみたい」と言われた。不安もあったが、今日は近くにいられるんだと言う気持ちのほうが大きかった。 |
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4. 15(月) 夜眠ることができなくて、泣きながら看護師に話しを聞いてもらった。不安しかない。こんな事ならずっとお腹にいてほしかった。保育器がとても厚い壁のように思えた。 PM0:35救急車で他の病院に転院。私も許可をもらい、祐真に付き添った。パパは車で病院へ向かった。検査の時間が長く感じる。しばらくして検査結果を聞いた。 ・心臓が思ったよりも複雑な症状になったいて、2日前より状況が悪くなっている。 ・ここでは治療ができないので、設備の整った他の病院に搬送する必要がある。 私たちはいったん産婦人科に戻るように言われた。車の中でパパと二人、涙が止まらなかった。最悪の場合のことしか頭に浮かばなかった。なんで祐真が・・・。産婦人科に戻って30分もしないうちに祐真が転院すると連絡がはいり、私たちは直接転院先の病院に向かった。少し遅れて救急車で祐真が到着し、そのまま処置室へ入ってしまった。 待合室の私たちに祐真の泣き声だけが聞こえてくる。辛かったんだよね・・・。小児病棟からICUに移動するときに、ようやく祐真の顔が見れた。朝、元気そうにしていた祐真じゃなくなっていた。祐真は鼻に管を付けられ、泣き疲れたのか眠っていた。唇はすっかり荒れていた。 ICUに移って少ししてから医師の説明を受けた。まだ治療の途中らしいが、3日前に出産したばかりの私の体を気遣ってのことだった。「発見が早かったので、このまま呼吸器と点滴で体力をつけ、数日後に手術をする」と言われた。 病名は『三尖弁閉鎖』『大動脈縮窄症』『完全大血管転位症』『心室中隔欠損症』『心房中隔欠損症』である。詳しい説明を聞き、医師の言葉から安心感が生まれた。ここなら祐真を助けてくれると心の底から思っていた。 医師から産婦人科に戻るように促され、パパを残し、途中から来ていた母と戻ることにした。どうしてこの時祐真から離れてしまったんだろう・・・。 この日は母も産婦人科に泊めてもらう事になった。すぐに布団に入ったがおっぱいが張って横になるのも辛い。ナースステーションに行くと、看護師たちの様子がおかしい事に気づいた。自分の部屋に戻され、代わりに母がナースステーションに呼ばれた。母乳を絞っている看護師もどこか焦っているのが分かった。恐くて何も聞けなかった。 絞り終えるとすぐに母が入ってきて「着替えなさい!病院に行くよ」と言った。容体の急変・・祐真がいる病院で待っていたパパに「何があったの?」と聞いても「急に容体が変わったんだって」としか言うことができない。 医師に呼ばれICUに入り状況の説明をされた。「一生懸命治療してますが、かなり厳しい状態です」祐真は呼吸器をつけ、体中にいろんな管をつけられていた。 祐真を前に言葉が出なかった。やっとの思いで「頑張って!」と言った。「ママ、祐真のこと抱っこしてないよ・・」しばらくして、待合室で待つ私たちに医師からICUに来るように言われた。祐真の側に行くと、医師に「お母さん、抱いてあげてください」と言われた。ようやく抱っこできたのに、辛くて胸が押しつぶされそうになった。体に付けられた器機がピーッと鳴る。それを無視して抱いていたが、ぐったりとした祐真を抱くのも辛かった。祐真をベットに戻そうとしたとき「お父さん、残念ですが0:05でした」と告げられた・・ |
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4. 16(火)抱いて帰っていいと言われ、パパ・ママ・祐真の3人で車に乗った。 仙台の街を案内しながら、親子3人最初で最後のドライブ。楽しかった。パパの実家に行く前に、祐真が暮らすはずだった我が家にも寄った。3人きりのわずかな時間だった。 どうして祐真だったの?やっと私たちのところにやって来たのに・・・。 今度は連れて行かれちゃった・・・。 ごめんね、守ってあげられなくて・・・。祐真、ごめんね。 |